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 昨年の歳末、杉崎 和子先生がアナイス・ニン研究会に私を招いてくださった。
 この研究会は年に何度かメンバーの方々が集まって、アナイス・ニンに関してそれぞれの研究成果を発表するという。

 私はたまたま日本で最初にアナイス・ニンを訳したというだけのことで,この研究会の集まりにお招きをいただいたのだった。杉崎 和子先生のご要望で、私はアナイスについて何か話をしなければならないことになった。
 私はアナイスの研究家ではないので、研究者の方々の前で話をするなど想像するだけでひるむ思いだった。

 ただ、私の周囲にもアナイス・ニンを好きな人たちは多い。その人たちに、あらためてアナイス・ニンについて考えてもらうことができるかも知れない。

 私は、立石 光子,谷 泰子,田村 美佐子,神崎 朗子たち、親しい作家の山口 路子に声をかけた。路子さんは、「軽井沢夫人」、「女神(ミューズ)」などの作品、あるいは、マリリン・モンロー、ココ・シャネルなどの「生きかた」のシリーズで知られている。路子さんは、日頃、アナイス・ニンへの愛,共感を語ってやまないひとり。彼女なら、現在の私がアナイス・ニンについて何を語るか,いささか関心をもってくれるかも知れない。

 むろん、短い時間にレクチュアするのだから、はじめから深いテーマを選ぶわけにはいかない。
 私は、16歳のアナイスが書きはじめた「日記」を読んだ。熱心に読み続けているうちに,ふとおもしろいテーマを思いついた。

 おそらく研究会のどなたも考えないようなテーマだろう。
 1915年、当時16歳の少女、アナイスは、どういう映画(サイレント)を見ていたのか。そんなところから、私なりの「アナイス論」を展開してみよう。

 現在、アナイス・ニン研究が、どういう展開を見せているのか私は知らない。私がはじめてアナイス・ニンを翻訳した頃は,わずかな文献上の資料があっただけで,モノグラフィー的な研究はまったくなかった。
 私が翻訳した時期、アナイスの「日記」もやっと1巻が出たか出ない時期で、ある程度まで、文学批評の対象として、その批判に耐えられる可能性をもった批評を書くことさえむずかしかったといえよう。
 そうした事情を考えながら,16歳の少女がどういう自意識をもって作家をめざしたのか、皆さんに考えていただくつもりだった。

 16歳のアナイスが書きはじめた「日記」は、今年、杉崎 和子先生の綿密なノートつきで刊行されるという。これはアナイス・ニン研究会の席上で伺ったことだが、私はうれしかったのと、アナイス・ニン研究が、杉崎 和子先生の努力で、ここまできていることに感慨をもった。
 そして、この日、山口 路子さんが、いつかアナイス・ニンについて書いてみたい、と語ってくれた。私は,この作家がアナイス・ニンをどういうふうに描くか、想像するだけで、うれしくなった。