1543

 

 エレオノーラ・ドゥーゼから、これまた無関係なことを思い出した。いや、思い出したというより、ちょっと調べたくなった。

 サラ・べルナール、エレオノーラ・ドゥーゼと同時代のドイツの女優。
 ウィーンで、16歳で女優をめざしていた少女、カタリーナ・シュラッツ。

 この少女は、ある女流作家の部屋に寄宿して、キルヒナー・アカデミーに通い、女優をめざしていた。カタリーナは、マリア・テレジア女帝の皇太子、ヨーゼフ二世が創始した「ブルグ劇場」をめざしていたのだが、この劇場に入ることは皇帝・王立劇場専属俳優になるということで、俳優、女優にとっては最高の名誉だった。

 オーストリア/ハンガリー帝国は、フランツ・ヨーゼフ皇帝の治世で、政治的な記事は、厳重に監視されていたため、新聞、雑誌は、劇評、文学論に紙面を割いていた。高い教育をうけたブルジョワジーのヒーローは、政治家ではなく、芸術家、作曲家、俳優、女優たちだった。カタリーナは、ウィーンのジャーナリスト、作家、俳優たちと交際した。

 カタリーナが、ウィーンに登場した時期、キルヒナー・アカデミーや、ウィーンのコーヒー・ハウス、クラブで、もっとも話題になったのは、十八年にわたって「ブルグ劇場」の監督をつとめたハインリヒ・ラウベと、ドラマのセリフ、古典的な演技を教えたアレクザンダー・シュトラコシュの「演出」についてだった。「ラウベは神、シュトラコシュは予言者」といわれた。
 カタリーナは、このふたりの薫陶を受けた。やがて、彼女はベルリンの劇場と契約し、シラーの劇で初舞台を踏む。さらに、クライストの「ハイルブロンの少女ケートヘン」で、圧倒的な評判を得た。ある劇評は、「美しいブロンド、あどけない少女の表情で、第一声を発する前に観客の心をとらえた」という。

 どうして、こんな女優に関心を持つのか。私は、カタリーナが「ハイルブロンの少女ケートヘン」で登場したことに関心を持ったのだった。
        (つづく)