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和田垣先生は、つづいてメーテルリンクをあげて、

「あだし仇波 やるせなき 沖にただよう 捨小舟」的の惨憺たる逆境を巧みに描出して、読者をしておぼえず暗涙にむせばしむる。」
という。さらに、「ベリアスとメリサンド」という歌劇のために、「デブシイ」(ドビュッシイ)の作った楽譜を聞け。いわゆる「怨むが如く、慕ふが如く、泣くが如く、訴ふるが如く」嫋々として尽きざる余情に富んでゐて(中略)、さなきだに神秘的なる歌劇は、更に神秘的なる雰囲気を加へてゐるではないか」という。

明治末期の日本人の印象派・理解が、これほどのものだったことに私は感動する。同時に、現在の私たちの考えとは違う、性急な、誤解とはいえないまでも強引な理解に気がつく。

私は、このあとの和田垣先生の記述にとくに注目する。

また悲劇に於てはヂュース(Duse)とサラー・ベルナール(Sarah Bernhardt)とを比べて見よ。舞踏に於てはダンカン嬢(Duncan)とデニス嬢(Denis)とを比べて見よ。舊派と印象派との相違は顕著で、眼あるものは之(これ)を観分け、耳あるものは之(これ)を聞き分けるであらう。即ち前者は無闇に舞台を飾り立て、大袈裟な衣裳や、型や、科(せりふ)やを用ひて、一挙手一投足の微細なる点まで多大の注意を払ふのに汲々としてゐる。
然るに、後者は具象的の型や、姿勢やには重きを置かず、主として肉眼よりは心眼に訴へて、不用意の中に観客をして暗示によって或る物を感得せしめねば止まない。一は菊五郎的、手芸的、一は団十郎的、腹芸的である。具象的の形骸を離れて、一種微妙なる芸術的、精神的、感興的打撃を与へずんばやまない。かく彼らは従来の古典的臭味を脱して、いわゆる印象派的の新呼吸、新生命、新趣味、新精神を伝へんとするのである。
    (「西遊スケッチ」大正四年)

この和田垣先生の解釈は、現在の私にはまったくの誤解に見える。

遠く時代をへだてた先達の誤りをいいたてて、貶しめようというのではない。この和田垣先生のエレオノーラ・ドゥーゼ、サラ・ベルナールの比較、ひいては印象派、レアリスムの理解には、じつに微妙な視差があることに気がついたのだった。
私としては、できれば近い時期にそれを検証してみたいと思っている。

和田垣 謙三に対する敬意をこめて。