和田垣先生は、ベル・エポックのパリを見物した日本人で、印象派についてもっとも早く紹介をした人物だった。
先生いわく――印象派は、もともとは絵画の一流派の一用語に過ぎなかったが、その後、より広く、より大きな意義をもつようになった。
「今日では之(これ)を広義に解すると、殆ど一切の現代思想を包括してゐるといっても可い位、即ち、文学にも、美術にも、その他、教育、宗教、社会、政治等にも之を応用するものがあるに至った」という。
そして、先生はゾラを引用する。
「印象主義は事物の真を写し出すに当り、之を周囲(ミリュー)の中に置いて、その微細なる点は之を描かず、周囲を描いて観者に強烈の暗示を与へることに努力する。」と。
これいわゆる「此時無声勝有声」(このとき声なくて、声あるにまさる――中田注)である。千言万語の雄弁は銀にして、無言却ってこれ金なりである。」
という。
ここから、イギリスのジョージ・エリオットと、キプリングを比較して、前者は、「きわめて微細なる点までも微細に叙述して」いるのに対して、後者は「全てを語らずして、つとめて読者の想像力に訴え」ている、とする。
(つづく)