この夏、2020年のオリンピック/パラリンピツクの開催地を選ぶ国際オリンピック委員会が、ブエノスアイレスで開かれて、その投票の結果、東京が開催地にきまった。
私は、たまたまテレビで、決定の瞬間を見ていた。IOCのロゲ会長が、大きなカードを見せるまで、場内が静まり返っていた。そのカードにTOKYOの文字があった瞬間、場内にいた日本人関係者たちが、歓声をあげて抱きあったり、フェンシングの太田 雄貴選手は感きわまって泣きだした。
日頃、私はああいう熱狂(アントゥジアズム)に、あまり心を動かされない。古い日本人のタイプなので、恥ずかしさが先に立つ。ところが、このときばかりは感動した。
招致関係者の中にいた滝川 クリステルも、この決定に感激して、顔をくしゃくしゃにして跳ねまわっていた。
美女は、顔をくしゃくしゃにしても美女なのだと思った。
東京は、イスタンブール(トルコ)、マドリ(スペイン)と選考にのぞんだが、マドリが、最初の投票で落ちた。最終選考で、イスタンブールを60票の大差で引き離し、開催地にきまった。
その後、色々なことが、いっせいに動き出した。これから七年後まで、オリンピック・フィーヴァーはつづくことになる。
その一つに、地名標識の英語化がある。
(つづく)