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もう、すっかり秋になっている。だから、今年の夏の悪口を書く。
あるエッセイスト(女性)から手紙をいただいた。その一節に、

今年の夏はどえらい奴でした。
私は暑さマニアなので、冷夏とかだとしょげてしまいますが、さすがに今年の夏は少々バテました。

とあった。私ははじめからバテて、夏という季節に悪たれをついていた。

じつは、この手紙をくれた彼女とおなじように、私は以前から夏が好きだった。長い仕事はたいてい夏場に書きはじめた。だから夏になると、きまって長い仕事にとりかかって、汗まみれになって仕上げたものだった。
今年の夏も、少し長いものを書きはじめたのだが――あまりの暑さで何も書けなくなった。夏のバッキャロめ。去年の夏は、せいぜいバーローぐらいだったが。

大ベラボーのコンコンチキめ。本も読めやしねえじゃねえか。

バーローぐらいの夏だったら、仕事ができなければ、絵でも描こうか、などと思ったものだが、今年のバッキャロは、こっちがクタバっちまう気さえ起きない。ただ、もう炎熱地獄を這いずりまわっていた。

まったく、今年の夏はどえらい奴だった。

そんな夏場に、ある作家(女性)から手紙をいただいた。いよいよ、新作にとりかかるという。

私が快哉の声をあげたのは、いうまでもない。この女性作家は蒲柳の質で、小説を書きはじめると、「書けないんです」とか「才能がないんです」とか、独特のラメンタリシ(なげきぶし)を歌いつづけながら、きっちり書きあげてしまう不思議な作家であった。 その彼女が、まさにジョクショ(ムシムシと暑苦しい)にあたって、あらたに創作の筆をとる。爛燦たる気象、ほむべし。この作家の決意のときに立ち会うことができたのは、大いなるよろこびであった。

老耄(ろうぼう)、来者(らいしゃ)なお追うべし。(ボケ老人も、あとをついて行こう)。

ようやく、私も少し元気になった。

そして、もうひとりの友人(女性)が、出たばかりの訳書を送ってくれた。午後に届いたので、すぐに読みはじめて、夜の7時半には読み終えた。最近のボケ老人にすれば、驚異的なスピードである。読みはじめたら、おもしろくておもしろくて、一気に読み終えることができた。
なんといっても、翻訳がすばらしい。

11歳の少年が、たったひとりでコロンボからイギリスに渡航するだけの話だが、最近こんなに感動した小説はない。マイケル・オンダーチェという作家の力量の大きさに感心した。「イングリッシュ・ペーシェント」の作家と知った。

この本を読んで、ようやく秋の気配が感じられた。

  わが待ちし秋は来ぬらしこのゆふべ 草むらごとに虫の声する

良寛さんの歌。

私は、青息吐息ながら、やっと自分の仕事に戻っている。