もう1編、「青山孝志詩集」の最後の詩を引用しておきたい。
羊飼いの娘
……雨に洗われて、牧場のみど
りは生き返ったが、そのかはり、
一匹の羊が、天使の掌に盗まれて
いった、それを弔うように、牧草
は、真白な花を咲かしつづけ……
そうして、その日から……
優しい羊飼いの娘は、重たい布団
のなかで病んでいた。
<あのね、肩をおさえて! 肩が飛んでゆきそうなの>
と、何度もうわ言を繰返しながら。……
そういう少女を、折からの高熱が、するすると、日
だまりの夢想の国へ運んでいった……。
そこは、ひろびろとした谷間で
あり、風に騒ぐ樹々の葉ずれが、
笑い声のように奇矯に聞こえるほか
一日は何事もなく一日につづき。
…………
遠くには、湖が光り、十字架が
見え、何やら白いものが、少女を
差招いていた。あたかも羊の霊魂
のように。
そのとき、突然、湖畔の教会か
ら御告げ(アンジェラス)の鐘が鳴りわたり、少女
の歩みを止めさせた。水晶のよう
に澄んだ空間をよぎりながら、鐘
の音は、不思議な一つの言葉を、
少女の耳に伝えたから。
…………この夕べ、お前は、胸に白
鳥(スワン)を抱け! と…………
気がつくと、少女の枕もとには、
アンデルの本が置かれ、美しい白
鳥の挿絵が、風にめくられていた。
そうして、その絵のなかの、快い
白鳥の遊泳のように、少女は、病
んだまま、自らの成長の道を辿っ
ていた。…………
1963年(昭和59年)の作品という。
私は、青山 孝志と親しい時期があったが、こういう詩を好まなかった。どうして、こういう詩を書くのか、わからなかった。私は、青山 孝志のセンチメンタルな少女趣味として、こういう詩を認めなかった。
私の好きな女たちは、たとえば、「マルタの鷹」の「フリジット」のように、優雅で、自尊心をむきだしにする高貴で邪悪な女。あるいは、優雅で、洗練された人生とペルソナで、「フィリップ・マーロー」に劣らない勇気をみせる「アン・ライアーダン」。
だから、堀 辰雄に私淑し、立原 道造、津村 信夫に親しんでいた少年らしい、繊細な詩に心をひかれることはなかった。
青山自身、病んだまま、自らの成長の道をたどっていた若者だったから、いつもプシケーのような「少女」を夢みたのだろうが、しかし、いまや、老残の身となり果てた私は、青山 孝志の繊細な詩、そこにあらわれる少女になぜか慰められるようだった。
(つづく)