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ところで――
「有名な作家ならいざ知らず、私のように無名のもの書きが、れいれいしく自分の日記を披露するなど、烏滸の沙汰」と書きながら、1977年の「メモ」をご披露しているのだから、ざまァねえが――35年前のおのれのぶざまな姿をさらけ出して、現在の老残のあわれと比較するのもおもしろいだろう。

いまさら、過去をふり返ってみたところで何も出てこないと承知のうえの所業である。
そこで、5月5日のメモ。

朝、テレビで、ミセス日本・美人コンテストを見た。
審査員は――高峰三枝子、和田静郎、神和住純、沖雅也など。最終審査に7人の美女が残ったが、最後に優勝したミセスは感激のあまり嗚咽した。外国の美人
コンテストなら、満面に笑みをうかべて投げキッスでもするところだが。
司会の高田敏江の要領のわるさに驚いた。ああいう女性は、いつもきめられたセリフをしゃべるしか能がないのか。

翌日、5月6日のメモ。

今月から地下鉄、タクシーなどが値上げになる。かなり影響があるだろう。
景気回復の兆候はまだあらわれない。というより、現状では、たえず不況の影におびえながら暮らしてゆくしかないだろう。
成田空港の反対同盟の鉄塔が倒された。夜、ルネ・クレマンの「危険がいっぱい」THE Love Cage を見た。アラン・ドロン、29歳の映画で、ジェーン・フォンダが美しい。64年度の作品。

そして、5月7日のメモ。

「ユリイカ」特集、「ジュール・ヴェルヌ」を読む。少年時代にヴェルヌを耽読したので、あらためてジュール・ヴェルヌを知ることに興味があった。論文とし
ては、和市保彦の「夢想家ヴェルヌ」にいちばん啓発された。
従妹のカロリーヌを愛した少年は、珊瑚の頸飾りを手に入れて贈ろうと考える。こっそり家をぬけ出したが、そのまま「コラリー号」に乗り込んでしまったとい
うエピソード。家に連れ戻されてから、母に「ぼくはもう空想のなかでしか旅をしないんだ」といったとか。
和市保彦は、この事件のなかに、後年のヴェルヌの作品の構造をとく鍵があると見る。マルセル・モレは、Coralie が Caroline の、そしてCorail と Collier のアナグラムと見ている。こういう暗合から、和市保彦は、現実の船旅への憧憬があったというより、言葉の暗示への執着、それがもつ謎への挑戦という、より強い感情につき動かされたのではないか、
という。
私が少年時代にヴェルヌに熱中したのは、やはり似たような傾向があったためか、という気がする。私もアナグラムが好きなのだ。千葉に移った当座、新検見川と Hemingway、稲毛と Inge といったアナグラムめいたいたずらを小説に書いたことを思い出す。アナグラムに特殊な関心があって、カザノヴァのアナグラムなどを見ると、どうにかして解いてみようという気になる。

「映画ファン」の萩谷さんに原稿、書評2本をわたす。彼女は大学に在学中、近代映画社のアルバイトをしていて、卒業後もそのまま編集者になった。おとなしいタイプ。映画ジャーナリストになったが、映画をあまり見る暇がないという。夜、板東妻三郎の「無法松の一生」(稲垣浩監督)を見た。戦時中に見たこともあって、この映画を見ているうちに、少年時代のこと、戦時中に見た映画、そして戦争のことを思い出した。

とにかく、映画ばかり見ている。そして、夜は、神保町界隈でアルコール、という生活だった。

その翌日(5月8日)の「メモ」。

めずらしい人から電話があった。西島 大が千葉にきているという。せっかくきたのだから、ぜひ立ち寄るようにすすめる。
西島は、「M」といっしょだった。「M」は、「芸術協会」にいた女優のタマゴで、一時、TBSに出ていたが、女優としては成功しなかった。昨年から銀座の高級バーのママになっている。西島 大はずいぶん痩せて、あごひげをたくわえている。いまは、TBSのドラマを書いている。いろいろ話をしたが、矢代静一、山川方夫の話になったとき、西島は、「われわれはえらくなれなかったな、けっきょく」といった。
つまり、お互いに、という意味だろう。私は、「そうだね」といっただけだった。

西島 大は、昨年(2012年)に亡くなった。若き日の西島は演劇関係の同人誌、「フィガロ」の鈴木 八郎、若城 紀伊子たちの仲間だった。私は「フィガロ」には参加しなかったが、イラストを描いた。「青年座」で彼の芝居を2本演出したのも私だった。

おのがじし生きる人生航路の船のブリッジから、つぎつぎに降りて行った仲間たち。そして、もう誰も残っていない。

私の「日記」はまだ続いているが、ブログに引用するのは、ここまでにしておこう。
そもそも、私ごときが日記を披露するなど、まさしく烏滸の沙汰。西島 大のいうように、「えらくなれなかった」作家の日記など、誰の興味も惹かない。

さて、残りはすぐに焼き捨てよう。