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5月3日の「メモ」に――「人間が人間のぎりぎりの底に達することはついにあり得ないだろう。そして、人間は、自分自身の姿を、おのれの獲得する認識のひろがりのうちに見出すのではない」と書いている。すっきりしない内容(ようするに、頭がわるい証拠)だが、当時の私はこんなことばかり考えていたのかも知れない。
さて、翌日(5月4日)の「メモ」。

朝、「サンケイ」の原稿を書く。ジョルジュ・シムノンが13歳のときから、じつに1万人の女性と関係したと語ったことに関して、作家とエロスの問題を考える。
12時少し前、「サンケイ」佐藤氏に原稿をわたす。文化部は3階に移った。
12時15分、「日経」吉沢(正英)君のところで、映画評――「華麗な関係」(ナタリー・ドロン、シルヴィア・クリステル)「ビリー・ジョー 夢のかけ橋」、「合衆国最後の日」(バート・ランカスター、リチャード・ウィドマーク)について。「日経」のレストランで。「週刊小説」の原稿、アナイス・ニンの「デルタ・オヴ・ヴイーナス」の紹介と書評を書く。
3時半、「南窓社」岸村氏と会い、「アメリカ作家論」(仮題)の出版をきめる。出版は10月1日の予定。ゼロックスのコピーをわたす。少し時間の余裕があるので、神保町に。「北沢」で本をあさっているうちに、思いがけない掘り出しもの。長いあいだ考えてきた評伝の資料。読んでみなければわからないが、本を見た瞬間、何かゾクッとするような感覚が背すじを走った。
また、銀座に戻った。「資生堂」で吉沢君と会う。買い込んできた本の話をしているところに、「二見」の長谷川君、「映画ファン」の萩谷君がくる。長谷川君には申しわけないが、原稿ができていない。萩谷君の原稿は、「日経」のレストランで書いた。しかし、書評の原稿を書くのを忘れた。神保町に行かなければ書けたはずだが。
そのあと、「富士映画」の下川君がきた。7月封切りの「遠すぎた橋」の宣伝の件。吉沢君に依頼する。各国のスターが十数人も出演する大作で、製作費が90億ドル。6月7日にジャーナリスト試写の予定。
その後、吉沢君とガスホールに行き、「ザ・チャイルド」を見た。スペインの映画。冒頭、第二次大戦中のユダヤ虐殺、ビアフラ内戦、ヴェトナム戦争、バングラデシュで飢えや病気、瀕死の状態の子どもたちの映像がつづく。戦争、破壊、飢餓で犠牲になるのはいつも子どもたちという主題で、この映画もそういうテーマの映画なのかと思ったが、まるで違っていた。若いイギリス人夫妻(妻は妊娠している)がスペインに観光旅行に行く。行き先はアルマンソーレ島。ところが、この島には大人がひとりもいない。子どもたちは、町の人びとを殺し、観光客を殺してしまった。若いカップルは、自分たちが子どもたちに狙われていることに気づく。
原題は Who Can Kill A Child で、これは逆説。この映画が何を寓意しているか、わかりにくい。しかし、よく見ると、フランコ体制のジャスティフィケーションとして見ることもできるだろう。スペイン映画の大きな変化が感じられて興味深い映画。「熱愛」につづくスペイン映画として記憶しておこう。

フランコ独裁以後のスペイン映画には、アルモドバルや、アントーニオ・セラーノなど、すぐれた映画監督がぞくぞく登場する。今にして思えば、「ザ・チャイルド」もそうした流れのなかで評価できたはずだが、当時の私はそこまで思い及ばなかった。
当時、私の見たスペイン映画は「汚れなき悪戯」だけ。どこの国の映画でも、輸入されなければ何もわからないのだから、仕方がないけれど。
(つづく)