この日の午後、テレビで私は、フランス映画、「舞踏会の手帳」を見たらしい。これで十数回見たと書いているが、20年後に「ルイ・ジュヴェ」を書いていた時期に、何度も見直している。
私は、この5月の「メモ」で、「舞踏会の手帳」について書いている。
シナリオによると、「クリスティーヌ」がイタリアの古城のような邸にもどってくるところから話がはじまっていて、彼女が舞踏会にはじめて出たのが16歳。
1919年6月18日。第一のエピソード(フランソワーズ・ロゼー)の「ジョルジュ」は、「クリスティーヌ」の婚約を知って自殺するが、それが1919年12月14日。室内のカレンダーの日付は、なぜか12月19日になっている。はじめてこの映画を見たときは、ロゼーの演技を鬼気せまるものに思ったが、この前見たときはさして感心しなかった。今回は、まあ、ロゼーらしいブールヴァルディエな演技だと思った。つぎに、ルイ・ジュヴェのエピソードがつづく。オープニングがジャズ。3人の悪党がナイトクラブの支配人、「ジョー」(ルイ・ジュヴェ)の部屋に入ってくる。この頭株がアルフレ・アダム(戦時中に「シルヴイーと幽霊」という戯曲を書く)。この部屋で、ジュヴェは悪人たちに指示をあたえるのだが、背景にポスターやブロマイド写真が貼ってある。ジョゼフィン・ベーカーのポスター、ダニエル・ダリューのブロマイドがあった。驚いたのは、そのポスターの横に、ヴァランティーヌ・テシェの写真があったこと。机の中に、ヌード写真が入っていた。戦前の日本の検閲がよく通したと思う。
三つ目のエピソードは、音楽家だった「アラン」(アリ・ボール)が、「クリスティーヌ」に失恋し、息子を失ったあと、神に仕え、いまは「ドミニック神父」になっている。これは雨の日。
四つ目の「エリック」(ピエール・リシャール・ウィルム)のエピソードで気がついたのは、「エリック」が「クリスティーヌ」をつれて山小屋に向かおうとするとき、あれがモン・ペルデュだという。こんなところにも意味があったのかと驚いた。
五つ目の町長(レイミュ)の場面は、楽しい喜劇と見るだけでいいが、町の名前が出てくる。前のエピソードが冬山なので、コントラストとして夏の南フランスにしたものか。
六つ目「ティエリ」(ピエール・ブランシャール)のエピソードで、ほとんど全部のシーンを斜めにカメラで撮影しているようだが、じつはそうではなかった。
「サイゴンでおめにかかりましたね」というセリフと、女(シルヴィー)の「サイゴンでは別荘もありましたよ」というセリフがくり返されていること。最後に「ティエリ」が自殺すると思っていたら、女を殺すこと。(この演出は「望郷」の密告者殺しとおなじ構図だということがわかる。)
この映画は、1時間57分。当時は気がつかなかった。オープニングの話(友人にすすめられて舞踏会の手帳の人びとを再訪することを決心するまで)が15分。ジュヴェのエピソードは、8分程度。アリ・ボールのエピソードが10分。ピエール・リシャール・ウィルムのエピソードは7分。ピエール・ブランシャールのエピソードが10分。
「クリスティーヌ」は最後に古城に戻ってきて、「ジェラール」の遺児が湖の対岸に住んでいたことを知り、その遺児「ジャック」(ロベール・リナン)と会う。そして「ジャック」をはじめての舞踏会につれて行くエンディングが5分。それにしても、この映画を見ていると、やはり私自身の青春と重なってくる。デュヴイヴィエの「望郷」とこの作品は、私の青春と切り離せない。いまから見れば、ずいぶん甘い感傷的な作品だが。
なつかしい名優たち。ロゼーも、ジュヴェも、ピエール・ブランシャールもみんな亡くなっている。アリ・ボールは、44年にナチの収容所で非業の死をとげたし、ロベール・リナンは対独抵抗派として銃殺された。マリー・ベルも死んだのか。
夜、原稿7枚書く。9時55分、微震。
「舞踏会の手帳」についてこんなに長い感想を書いていたとは。
この「メモ」から20年後、評伝「ルイ・ジュヴェ」を書くとは夢にも思っていなかった。まして35年後、このブログにこんなものを書くとは想像もしなかった。
(つづく)