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「SMASH」には、インド映画のダンス・シーンまで登場する。キャサリン・マクフィーがもっとも美しいシーンで、真紅のインド衣裳をまとって、へそを出して歌い、踊る。
相手は、それまで「カレン」の「恋人」で、ニューヨーク市の報道担当官だった「デーヴ」(ラザ・ジャフリー)。ドラマでは、オクスフォードを首席で出てNYの報道官になっているエリート。その「デイヴ」が、(「カレン」の空想で)インド映画のダンス・シーンをリードする。驚いた。
ドラマの展開としては、インド料理の高級レストランに、「レベッカ・デュヴァル」と「カレン」、「デーヴ」が会食するのだから、別に不都合はないのだが、インド映画の定番の群舞シーンでときた。
おそらく、終盤に近くドラマの展開がいくぶんダレてきている部分を、キャサリン・マクフィーに挽回させようとした苦肉の策と見える。と同時に、あきらかに、このドラマの「戦略的なリーニュ」(表に出さないテーマ)として、インド市場を視野に入れたドラマ作りと見てもいい。
なぜ、インド音楽なのか。
このドラマには、さして必要なシーンとも思えないのだが、にもかかわらず、このドラマが、強烈に中国やインドなどを意識していることに気がつく。
中国やインドの存在が、グローバルな影響を及ぼしている時代には、こんなささやかなミュージカルにも、いわば国境をこえた社会的デザインの構想も必要があると(プロデューサーは)判断したとみていい。
スティーヴン・スピルバーグの指示だったのかも知れない。プロデューサーとしては、おそらくそのあたりまで計算しているだろう。
(すでに述べたように、スピルバーグの会社がインドの巨大な映画資本に買収された影響もおおいに考えられる。)
まるでインド映画のスターといっても通用するキャサリンの美貌と、歌唱力。音楽的には、「キャサリン・マクフィー」の中の「デンジャラス」Dangerousの発展と見ていい。逆にいえば「デンジャラス」Dangerousを歌っているからこそ、インド映画をパロデイできたと見ていい。
この映画のキャサリン・マクフィーの「演技」をケナしている連中は、何も見ていない。何も見えていない。この連中はインド映画も見たことはないだろう。キャサリンがインド映画のスターのような美貌と、歌唱力、才能を見せていることに気がつかないのだ。これはミーガンにはない才能だろう。
この部分のコレオグラフィーも、ジョシア・バーガッセなのだろうか。