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新作ミュージカルの演出家、「デレク」(ジャック・ダヴェンポート)は、作曲家の「トム」(クリスチャン・ボール)とは犬猿の仲。
ドラマは、「マリリン・モンロー」という「役」をめぐって、「カレン」と「アイヴィー」がはげしい競争をくりひろげる。
新作ミュージカルに関心をもつプロデューサー、「アイリーン」(アンジェリカ・ヒューストン)は、夫の「ジェリー」と離婚協議中。夫は「アイリーン」を妨害しようとして「マイ・フェア・レデイ」の公演をぶつけようとする。
もう一方では――「マリリン」ミュージカルにかかわる人々の「愛」と「傷」を描いたソープ・オペラ。
「SMASH」の登場人物には、夫婦という婚姻関係、同棲、ゲイ、さらに(比重はかるいけれど)レズビアニズムまで、さまざまな「愛」が描かれる。これに、親子の愛情がからんでくる。
「カレン」と「アイヴィー」のライヴァル関係、ひいては価値観の対立は、「女」としての「カレン」と「アイヴィー」、「女優」として「役」のなかで解決しなければならない、それぞれの愛情のありかた、豊かさ、そうした演技の多様性がだせるかどうか、という問題に重なってくる。
ふたりにとって、ドラマの「マリリン」は、60年代の偶像(アイコン)ではない。(原作者のチーム、「ジュリア」と「トム」にとっても、アイコンではない。)
「マリリン」は、一般大衆の憧憬、願望、欲求によって作られる。ところが、そんなものは、もはやあり得ない。(「アイリーン」(プロデューサー)と離婚係争中の夫(大プロデューサー)は、「マリリン」の出てくるミュージカルなんか誰も見にこない、と断言する。)ところが、そんなミュージカルなど、もはやあり得ないからこそ、「マリリン」という偶像(アイコン)があり得る、というロジックも成立する。
「第8話」The Coup――ワークショップ終了後の手直しで、演出家「デレク」が見せる、「現代」の「マリリン」の変貌が、そのロジックを象徴している。「デレク」は――「純粋なマリリン」の極致は、エロスにあるとして、新しい「マリリン」のポテンシャルな演出を見せる。
この ”Touch Me”のシーンは、「オール・ザット・ジャズ」(ボブ・フォッシー監督/振付・1979年)でアン・ラインキングが見せた、高度にエロティックなダンス・シーンに匹敵するハイライト。
作詞・プロデュースは、ボニー・マッキー。
「カレン」と「アイヴィー」、ふたりの、孤独感、嫉妬、羨望、ドラマの進行につれて募ってゆく憎しみ。それは感情の領域から――「女」としてのステータス獲得という目的にかかわってくる。