これを書いた時の私は、アフリカについてはもとより、シーア派についても、何も知らなかった。ただ、イザべル・エベラールという、文学的に夭折した作家を、あらためて読むことができる、そういう喜びを語りたかったにすぎない。
いまでも、心に深く残っているシーンがある。
外人部隊の兵士が、町でただ一軒のカフェ、石油缶を並べただけのベンチに腰をおろしている。
アルジェの強烈な日ざしにさらされて、まっくろに日灼けしているドイツ系のブロンドの兵士。
アラブ人になりきって男装しているイザベルと、たまたま話をする。
アラブ人の「男」が、たどたどしいがなんとかドイツ語を話すので驚く。まさか、砂漠の中の小さな町で、母国語を口にする機会があるとは信じられない。
この若い兵士は、人生をあたら蕩尽してしまったこと、世界じゅうを放浪して、最後にフランスの外人部隊にもぐり込んだことを語る。敗残の叙事詩を。
デュッセルドルフ生まれ。20歳のとき、旅と冒険へのやみがたい欲求に駆られて、ドイツ軍に志願して、清(中国)に送られた。
イザベルが兵士に会った時期は、おそらく1903年頃だろうから、この兵士は、義和団事件(1899年)の起きた時期に、清(中国)に送られたのだろう。
だが、この兵士は脱走した。中国の港で辻芸人をやったり、領事館につとめたり、水夫になって、世界をへめぐったあと、無一文になった。故郷を離れて5年、アルジェにたどり着いて、外人部隊に志願する。
イザベルは書いている。
彼の人生は台なしになった。それに間違いはない。だが、それでどうなのか。彼
は退屈しなかったし、世界を見届けて、今では人や物事をはっきり知りつくして
いる。
ある晩のこと、この兵士はイザベルにいう。
「ここでの不幸は、何も読むものがないことなんだ。新聞さえもない。獣のように暮らしていると、頭がボケてしまう。こんな時間に、コーヒーでも読みながら、いっしょに本が読めたら、しあわせなんだが」と。
イザベルをイスラム教徒と知って、いい出せなかったことだが、たった1冊、本をもっていると伝える。それは、聖書だった。
イザベルは、イスラム教と古いユダヤ教には血縁関係があって、どちらも、苛烈な一神教なのだと話す。兵士は、イザベルが、聖書を読むことを許してくれたと知って、いそいで、聖書をもってくる。
こんな話が、今の私を感動させる。