1990年12月、私はこんな書評を書いた。
水が砂漠に吸い込まれるように、忘却の淵に沈んでしまった伝説的な女流作家がいる。その名は、イザべル・エベラール。
彼女の障害は波瀾(はらん)にみちたものだった。ロシアの革命家の娘として生まれ、数奇な運命に導かれて、単身、サハラ砂漠の奥深く潜入し、遊牧民の男を熱烈に愛した。イザべルは男装して、シーア派の一員として政治的な活動をつづけ、作家しても嘱望されていた。
だが、長編として書きつづけた原稿とともに、アフリカの大洪水にのみ込まれた。わずか27歳の若さだった。
あまりに早く人生を駆け抜けただけに、作家としての成熟は見られなかったが、その紀行文には、イザべル・エベラールの驚くべき行動力、ゆたかな感性、観察のするどさが至るところに認められる。
日本ではじめて翻訳された「砂漠の女」は、22歳でチュニジアに住みついたイザべルの、アルジェリアまでの旅、特にサハラ砂漠のマグレブ地方の観察記録である。彼女は、サハラを愛した。自らが語っているように、神秘的な、深い、説明しがたい愛にほかならない。それは、あくまで現実に根ざした愛であり、しかも不滅の愛だった。
原稿は、イザべルが亡くなってから整理されたもので、ときには断片的であり、さらには途中で異文(ヴァリアント)が挿入されているが、それがかえって、イザべルのいきいきとした息づかいを感じさせる。
ランボオやゴーギャンのような「脱出」の系譜に入れてもおかしくない作家だし、T・E・ロレンスに近い行動派の文学の先駆と見てもいい。アフリカのルポルタージュとして、ジッドの「コンゴ紀行」を予告するような部分がある。
いずれにせよ、この「砂漠の女」で、私たちはようやくイザべル・エベラールの全貌を知ることができるだろう。そういう意味で、私にとっては、「砂漠の女」は一つの文学的な事件なのである。