1494

意外なことに、フィルコは毎日チェコ大使館に出頭しなければならなかった。
ずっとあとで知って驚いたのだが、前日の行動を詳細に報告しなければならなかったらしい。その一方で、大使館は、フィルコの滞在先、中田 耕治についても調査したらしい。
ある日、東京から戻ってきたフィルコが、私をつかまえて、
「君は作家なんだねえ」
といった。
「有名じゃないけど、自分では作家と称しているよ。それが何か……?」
「大使館が教えてくれた」
私は笑った。私は「文芸年鑑」程度のものにやっと出ている。調べたって仕方がないだろうに。
共産圏の大使館は、自国を代表する芸術家の行動、とくに交遊関係にまで目を光らせているのか。もっと驚いたのは、フィルコ夫妻の滞在に対して、経済的な援助なしだったことを知った。この日から、食事も私たちとおなじものにすることにした。むろん、対価をいただくわけではない。

東京を案内することにした。マリーアは妻といっしょに行動させた。その間に、ストリップ劇場に案内したこともある。フィルコは、アメリカ映画はチェコでは絶対に見られないので、ぜひ見たい、という。私は映画の批評を書いていたので、試写室につれて行った。二、三本見たはずだが、バート・ランカスターの「大空港」、フランス映画ではジョルジュ・フェイドーの喜劇しかおぼえていない。見終わったあと、フィルコは何もいわなかった。
私は、明日の大使館詣では、何もいわないだろうな、と思った。 (つづく)