1492

1970年、大阪で万博が開催された。

個人的に外国の作家や芸術家と接触したことは多くない。
こちらがまったく無名の作家だったからだが、それでも、ごくわずかな数の芸術家と知り合う機会があった。
例えば、スタノ・フィルコ。

フィルコは、チェコスロヴァキアの芸術家で、大阪万博に新設された現代美術館に、チェコの代表として作品を展示した。このとき、世界じゅうから約20名の芸術家が選ばれて出品しているが、そのなかに、フォンタナ、ヘンリー・ムーアなどが含まれていた。当時の共産圏の、チェコスロヴァキアからスタニスラフ・フィルコだけが選ばれているが、ソヴィエトには社会主義リアリズムの美術しか存在せず、「現代美術」などはじめからあり得なかったから、スタノ・フィルコが選ばれたのは異例だったに違いない。

私は、スタノ・フィルコについて何も知らなかった。

1年後に「朝日」がフィルコを紹介している。

チェコのブラチスラバに住む異色芸術家スタノ・フィルコが、数年前の活動をまとめた作品集を出した。
フィルコの初期作品は、バロックの祭壇を思わせるガラクタのよせあつめだったが、一九六五年以来”Happsoc”(ハプソク)と名づけて、環境芸術とハプニングを総合する方向に向かった。たとえば、六六年の「普遍的環境」と題した作品は、木のわくとナイロン・レースのカーテンにしきられた空間で、床と壁には鏡がはめこまれ、頭上から三つのシャンデリアが三色の光を放射し、カーテンには女のシルエットが映しだされる。観客はテーブルに置かれたチェスをやったり、女の描かれた空気ベッドにすわったりしながら、現実と幻影との交錯にひきこまれる。
このように光、映像、音、物体、文字などを動員しながら、動的な情報環境に観客をじかに参加させるのが、フィルコの作品の特色である。一昨年のパリ・ビエンナーレには、球体のテントの内部に鏡をはりつめた空間を作り、宇宙探検への関心をつよく示した。
近年は、コンセプチュアル・アート(概念美術)の方向に近づいている。昨年の万国博にも参加し、来日した。フランスの批評家ピエール・レスタニーが、文明社会の日常性をそのまま作品化する点で、マルセル・デュシャンの直系と書いたように、西側でも注目されている。  (71年5月15日)

私が見たのは、この「普遍的環境」で、ほとんど観客のいない「現代美術館」の一室で見たのだった。小さなのぞき窓から見るようになっている。その意味では、マルセル・デュシャンのアイディアを踏襲しているにちがいない。
私は、上からほのかに放射される三色の光のなかに、淡い色で女のシルエットが揺れているのを見て、「現在」の東ヨーロッパの「エロス」を感じた。性的な事象に対して、きわめて禁遏的な共産圏では、女の「エロス」の表現はこれが限界なのだろう。

逆にいえば――性的な表現がまったく存在しない場所で、どういうかたちであれ、若い女性の裸身を表現することに、ひそかな「抵抗」がある。私はそう感じた。
フィルコのヌードは、かすかな空気のなかで、たえず揺れている。それはたえず変化し、いわば浄化されてゆく。これは何かのメタファーなのか。

大阪でフィルコを見たとき、この芸術家と知り合うなど考えもしなかった。
(つづく)