「誹諧武玉川」初編から十八編まで。
年齢がわかるものを挙げてみよう。
いつまでか 十九十九のしら拍子 (第12編)
怖かりし十九の年も 無事で過ぎ (第13編)
奥歯にものの 十九 二十五 (第17編)
二十五と十九の間も 因果なり (第7編)
二十五は 娘の年でなかりけり (第8編)
二十五から 竹になる年 (第17編)
錦木をはふり捨て捨て 二十四五 (第18編)
江戸人の観念には十九・二十五歳の男女関係がつよく意識されていたのかも知れない。
これは婚姻だけではなく、性的な成熟期という意味で。当たり前だというだろうか。それでは、30代の句を拾いあげてみよう。
三十で 恐ろしいもの 緋ぢりめん (第5編)
三十は 落着としの はじめ也 (第17編)
地黄と聞いて笑ふ 三十 (第16編)
三十を過ると 縞が眠う成 (第11編)
まだ顔も 三十三で面白き (第6編)
松風に ふっと気の付く三十九 (第11編)
分別の四十に遠き三十九 (第18編)
緋縮緬どうもセクハラだなあ。
三十歳が「落ちつく年のはじめ」というのは、男性の性的能力がピークを過ぎているという意味にもとれる。そこで、「地黄と聞いて笑う」ことになる。
「地黄」は、地黄丸という生薬。強精薬。井原 西鶴の「好色一代女」に、「いまだお年も若ふして、地黄の御せんさく(詮索)」という一節がある。「武玉川」にも、「地黄はやりて天下泰平」(第13編)という句がある。
「まだ顔も三十三で面白き」は、女を詠んだものだが、松風の句は、「松風は老行く坂の這入口」(第11編)があって、これは男を詠んだものだろう。
(つづく)