1481

なんとか本が読めるようになったので、なんと昔の川柳を読みはじめた。

「誹諧武玉川」初編から十八編まで。今どき、こんなものをまとめて読むなんざ酔狂な話だが。川柳なら短いので、それほど眼が疲れない。

紀逸(四季庵)が川柳(付句)を集めて編纂したもの。四季庵が途中で亡くなったため、二世/紀逸(四時楼)があとをついで、十八編まで編纂したものという。
読みはじめたのはいいのだが、江戸文学の素養のない私には、ほとんどの句がよくわからない。難句といった、はじめからむずかしいものではなく、当時の江戸(宝暦年間)の風俗、文化、男女の機微万般にわたって無知なので、どこがおもしろいのかわからないものばかり。たとえば、


干からびにけり 伊藤源介   (第5編)


さて、この「伊藤源介」がどういう人なのか見当もつかない。「干からびにけり 中田耕治も」だなあ。それでも、たまには


戀しき人に逢へば 日がくれ  (第9編)
腰帯を締ると 腰が生きてくる (第6編)
吉祥寺 泉岳寺より面白き   (第5編)


などという句にぶつかって、思わずにんまりしたくなる。
吉祥寺は、中央線の「吉祥寺」ではなく、八百屋お七の吉祥寺。泉岳寺は、むろん赤穂浪士の墓所。こんな句に、当時の江戸庶民の感情があざやかにうかびあがってくる。
何日もかけて読んでいるうちに、「武玉川」の「誹諧」には、どうやら老齢に対する無意識の恐れがあるのではないかと思うようになった。

こんなことしか考えないのも、相当、頭にガタがきている証拠だが。(つづく)