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その後、常盤 新平は「ハヤカワ・ミステリ」ではじめて翻訳を手がけることになった。これも「遠いアメリカ」に書かれている。私が福島 正実から、ガードナーをもらってきたのだった。これはアール・スタンリー・ガードナーの法廷ものだが、じつは、その前に常盤 新平は別の仕事を手がけている。これについては書く必要はない。
そして、常盤 新平を早川書房の編集部に入れたのも私だった。

このブログを書くために、あらためて常盤 新平の手紙や、「遠いアメリカ」に書かれている時代に私が書いたものなどを読み返した。
常盤 新平が早川書房に入社したのは――
福島 正実が、早川書房でいよいよ念願のSFのシリーズ化をはじめようとしていた。都筑 道夫は「ハヤカワ・ミステリ」全巻の解説を書きはじめる。
北 杜夫の「どくとるマンボウ航海記」、井上 靖の「敦煌」、謝 国権の「性生活の知恵」がベストセラー。
若い女の子たちが、腕に「ダッコちゃん」をからませて歩いていた。タレントでは、「ザ・ピーナッツ」、松島 トモ子。吉永 小百合はまだ登場しない。
大島 渚が「日本の夜と霧」を、今村 昌平が「豚と軍艦」を。三島 由紀夫が「空っ風野郎」に主演する。
手塚 治虫が「シャングル大帝」を描きはじめる。そんな時代だった。

作家のベン・ヘクトが亡くなったのは、1964年だったが、私は常盤君の依頼で、「ベン・ヘクト追悼」を書いた。そのなかで、

この四月、ヘクトの訃がつたえられた。もっとも私は新聞のオビチュアリに興味がないので、そのことは少しも知らなかったが、常盤 新平君が教えてくれたの
だった。
「ほう、ヘクトが死んだの?」私はいった。
「いやだなあ、ちゃんと知っててトボけてるんでしょう」彼がいった。
「とんでもない」私はいった。「ぼくは、自分が一つでも作品を読んだことのある作家の死には、いつも敬虔な気もちになるんだ」
私はそれからヘクトについて、その死について、しばらく考えた。たしかに私はヘクトの作品を少しは読んでいるので、敬虔な気もちになったのだった。

半世紀も昔のことなのに、こんなやりとりもはっきりおぼえている。
私は自分が一つでも作品を読んだことのある作家の死を知ったときは、かならずその作品を読み返すことにしていた。追善というよりも、むしろ、その作品を読み得たことのありがたさを思い返すためだった。
今、こうして、常盤君から贈られた「遠いアメリカ」を読み返す。さまざまな思いが押し寄せて、胸ふたがるる思いがあった。
(つづく)