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「遠いアメリカ」の中に、たくさんの作家の名前、作品の題名が出てくる。
たとえば、テネシー・ウィリアムズの「ストーン夫人のローマの春」、ジェームズ・ボールドウィンの「山に登りて告げよ」、アーウィン・ショーの「若き獅子たち」。
そして、レイモンド・チャンドラーの「湖中の女」、「長いお別れ」。エヴァン・ハンターの「暴力教室」。
ジョン・オハラの「ファーマーズ・ホテル」、ジョン・ロス・マクドナルドの「我が名はアーチャー」や「犠牲者は誰だ」など。
なつかしい作家たち。私も、それらの作品が出たときにペイパーバックで読んだ。大半は、神田の露店の古本屋のおじさんから買ったものばかりだった。
ここで常盤 新平があげているジョン・ロス・マクドナルドの「我が名はアーチャー」や「犠牲者は誰だ」は私が訳している。
常盤 新平に読むことをすすめたのも、おそらく私だったにちがいない。

アーウィン・ショーをはじめて訳したのも私だった。はるか後年、一流の翻訳家になった常盤君が、私の訳したアーウィン・ショーを訳し直している。おなじように、常盤君がはじめて訳した作品を(私は常盤 新平訳が出ていると知らずに)訳して、別の出版社から出したこともある。

「遠いアメリカ」の中で、「重吉」が恋人の「椙枝」に、「遠山先生」が新婚の夫人にキスするところを見たと話す。そのとき、常盤君は、ハガキで、

一昨日、昨日とお邪魔してご馳走になり、有難うございます。母は、「新婚家庭
によくもぬけぬけとご馳走になったり、泊まったり、私は恥ずかしい」と僕の図
々しさを責めました。
今日、神田の古本屋(露店、ひげのおじさん)で、中田さんの名を言ったら、百
五十円の本を百円にまけてくれました。
ウィスビアンスキーはわかりました。古本屋(近くの)デモルナールやチャペク
などといっしょになったアンソロジーを見つけたのです。
この頃はコーヒーを飲む必要がないので、安本を買い集めておりますが、読みき
れません。では又

と書いてきた。
「この頃はコーヒーを飲む必要がない」というのは――恋人の「椙枝」が劇団の旅講演に参加したため、会えなくなっている、という意味。私は、有楽町の「レンガ」、銀座の「トリコロール」、神田の「小鍛冶」という喫茶店以外は立ち寄らなかったので、常盤君の行動半径も、だいたいこのあたりに集中していた。
当時、まだ大学院に在籍中だった常盤君の将来を心配なさって母上(常盤とよさん)から何度も手紙を頂いたが、私が手紙で「椙枝」のことをくわしくつたえたため、いくらか安堵なさったようだった。
(つづく)