2013年1月22日、作家、常盤 新平が亡くなった。
その晩、かなり遅くなってから、私の妻が私に告げた。私は、少なからぬ驚きをもって常盤君の訃報をきいた。茫然としたといっていい。常盤 新平が亡くなったという、信じられない思いと、彼と親しかった頃の思い出が胸にふきあげてきた。
翌日、オービチュアリを読んだ。
直木賞作家で、アメリカ現代文学の翻訳や洗練されたエッセイでも知られた常盤新平さんが、22日午後7時12分、肺炎のため東京都町田市の病院で死去した。
81歳。
岩手県出身。早稲田大卒。早川書房に入社し、「ミステリマガジン」編集長などをつとめた後、文筆活動に。アメリカ文化やジャーナリズムを紹介したほか、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタインの「大統領の陰謀」等の名翻訳が評判になった。
1986年には、アメリカにあこがれる青年を主人公にした自伝的作品「遠いアメリカ」で小説家デビュー。翌87年、同作で直木賞を受賞した。
その夜、私は常盤君から贈られた「遠いアメリカ」を読み返した。
重吉は「ハーパース・バザー」の目次を開いてみる。このファッション雑誌には一流作家や詩人のエッセイが載る。
「サルトルやカミュなんかが載るから、僕は「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」を買うの」
そう言ったのは、重吉にときどき下訳の仕事をくれる遠山さんだ。詩人をポーエットと言ったり、喫茶店ではミルクティーしか飲まない。気障な人だけれど、重吉をわりと可愛がってくれている。椙枝を重吉に紹介したのも、養成所で教えていた遠山さんだし、重吉が「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」の名前をおぼえたことも、遠山さんがいなかったら考えられない。 (P.17)
この「遠山さん」は、あきらかに私をモデルにしている。
私は、「椙枝」と「重吉」のふたりにとって「師匠」だった。私がある劇団の俳優養成所で、戯曲論めいたものを教えていたが、「ジャミ」は私のクラスにいた生徒のひとりだった。
「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」は、いわゆるスリック・マガジン(豪華ファッション雑誌)で、ひどく高価な値段だった。当時の私は、占領軍の家族が読み捨てた古雑誌を「俳優座」の向い側の古本屋で見つけては買ってきた。ただし、いつも貧乏だったので、数十冊の「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」を手にとってもせいぜい1冊、2冊しか買えなかった。
今でもおぼえているのだが、「ハーパース・バザー」ではディラン・トマスの詩劇や、べンジャミン・ブリッテンのオペラ台本などを読んだ。
私はその「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」を、常盤君にも読ませた。彼が、モデルのスージー・パーカーが好きになったのも、そのあたりからだろう。
(つづく)