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庄司 肇は、こう主張する。

 「作家はその書かれた作品によって評価されるものであり、作品以外の個人的な動向を取り上げても、そんなものは調べるに値しない」

この考えがただしいかどうか。というより、こういう論理の展開を私個人はどう考えるか。
私は庄司 肇の意見に同意しない。

どういう作家であれ、その作家が書いた作品によって評価されるべきことはいうまでもない。あたりまえのことではないか。だが、「作家はその書かれた作品によって評価されるもの」だったろうか。
私は「評価されるべきもの」とはいうが、「評価されるもの」とは思わない。

たとえ、文学史に残るほどの作品を書いた作家であっても、全部の作品が「文学史に残る作品」かどうか、わからない。たいていの作家は作品を書くときに「文学史に残る作品」をめざして書いているなどと考えるものかどうか。バルザックのような作家はハンスカ夫人に当てた恋文を書きながら、原稿料に換算すればいくらになるか、そんなことを考えていたという。バルザック自身は自分が「文学史に残る作品」を書いているという自負をもっていたにせよ、「作品以外の個人的な動向を調べ」れば、バルザックという作家がもっとよく理解できるにちがいない。
(つづく)