宮さんの辞世は、前にあげた二句につづいて、
こういうのは芭蕉も書けなかったと思います。木枯らしや 夢はパリを駆けめぐる
とあった。
これを、宮 林太郎の辞世の句と見てもいいだろう。
お彼岸にはローソクを一本もってきて、それに火をつけて、燃えつきるまで、本を読むことにした。申しわけないが、宮さんの本ではない。
私の読んだ「老人学」に関する本で思いがけず、日本人の辞世の句、それも俳人の絶命詩をとりあげていた。
いまわの際にある日本の詩人や僧侶たちは――おそらく、この世での最後の行為として――この世との別れを「辞世の句」に詠んだ。これは、一八四一年、有名な俳人である大梅が七十歳のときに詠んだ句である。
七十や
あやめの中の
枯尾花
猿男は一九二三年、六十五歳のときにこう詠んだ。
食いかけた
団子に花の
別れかな
次に挙げる二句は、いずれも盛住と呼ばれる二人の俳人の作品である。
盛住(1776年)七十五歳。
しばらくも
残るものなし
木々のいろ
盛住(1779年)八十六歳。
水筋を
受け手異なる
青田かな
いずれの句においても、読み手は、あやめの花、青田の影、木々の色を観て愛
でる存在として現れている。人生のうちの永遠なるものがより大きな意義をもた
らすようになる…… (つづく)
「老いることでわかる性格の力」ジェイムズ・ヒルマン著 鏡リュウジ訳
河出書房 2000年9月刊
宮さんの手紙から、別のテーマに移ってしまったが、日本人が、辞世句を読む独特な心性をもっていることは、アメリカ人にも知られてきたのかも。
してみると、宮さんの俳句も、なかなか稚気があっていいような気がする。