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宮 林太郎さんの手紙を思い出す。
私は、宮さんを訪問したあと、玄関先でスナップ写真を撮った。それをさしあげたときの礼状の一節。

 

昔、ぼくが二十歳ぐらいのとき、だからそれは六十年ぐらい前の話です、新宿の武蔵野館でジャック・フェデの「面影」という映画を観ました。この映画は傑作中の傑作で、芸術家が映画というものに取り組んだ初期のものでした。
ある男がパリの街角の写真館のショーウインドーのガラス越しに女のポートレートを見ます。それからその男はその女の面影を追ってフランス中の旅に出ます。勿論、その女に出会うためです。
美しいプロヴァンスの林の中や、タバコの煙で一杯のマルセーユの居酒屋のテーブルや、フランスの田舎の町や村々や川のほとりを歩くのです。その美しい風景は郷愁となってぼくの頭に残っております。
ぼくは一枚の写真の話をしているのですが、中田さんが写してくれたこのミイラには死の影のみえる一人の老人が悲しそうに座っています。そして何か喋ろうとしています。
多分死についてでしょう。そしてこの老人はボルテールのような骸骨と目つきをしています。

 

日付は、1991年9月27日。もう、二〇年も昔のことになる。

当時の私は、評伝「ルイ・ジュヴェ」を書きはじめていたが、まったくの手さぐりで、いつになったら完成するのか見当もつかず、前途暗澹たる状態だった。
そんなときに、宮さんと親しくなって、祐天寺の「ヘミングウェイ通り」に、宮さんを訪問したものだった。

残念ながら、ジャック・フェデルの映画、「面影」を私は見ていない。
フェデルの初期の映画、「女郎蜘蛛」は、ある機会に見たが、これは、後年の「外人部隊」を予告するような部分があって、フェデルを理解するうえで役に立った。
それと、もう一つ、宮さん流にいえば、この映画で、「ある女の面影」を見たのだった。
だから、その女の美しい面影は郷愁となって私の頭に残っている。

それはさておき。
私は、親しい人たちのスナップ写真を撮っては、それをさしあげるのが「趣味」で、写真を撮られるのがお好きでなかった宮さんのスナップも撮影した。
その写真の宮さんは、けっして「ミイラ」のような「骸骨」ではなかった。ヴォルテールのような「目つき」をしているかどうか、ヴォルテリアンでない私にはわからない。

しかし、その写真の宮さんが「何か喋ろうとして」いて、それが「多分死について」だろうという、当時の宮さんの心境は、今にしてよく分かるような気がする。

ただし、私は、「何か喋ろうとして」、それが「多分死について」ということがあるだろうか。おそらく、それはない。
私は、毎日、死について考える。ただし、自分の「死について」語ろうとは思わない。まだ。  (つづく)