今年の私は、ひどいスランプに陥った、といってよい。
いくつかの理由はあるのだが、ここに書く必要はない。パソコンが故障したので、買い換えたのだが、それもすぐに故障した。われながらあきれた。
ほかにも、いろいろあったが、いずれ、忘れてしまえばすむことばかり。
忘れる。これはもう、どうしようもない。
自分ではよくおぼえているはずなのに、どうかすると思い出せない。字を忘れる。漢字が書けない。われながらあきれる。おいおい、それでも大丈夫かヨ、と嘆息する。そこで私はスランプになった、という顔をする。ボケ隠しの術である。
最近の日本人は、漢字を正確に書く能力が衰えているという調査が発表された。その調査は、文化庁によるもので、全国の16歳以上の男女を対象にした面接方式で行われた。
その結果、日頃、パソコンや、メールを使うことが多いため、漢字を正確に書く能力が衰えていると感じている人が、65・5パーセントにたっしている。10年前にくらべて、25・2パーセントもふえていることがわかった。
このことは、漢字を正確に書く能力だけではなく、読む能力も衰えているはずで、最近は、本を読む人、ひいては近代/現代の文学を読む読者層のいちじるしい減少と連動しているだろう。
これは、由々しき一大事である。(昔の講談に、よくこんなことばが出てきた。)
これでは、本を読む人がいなくなるのも当たり前だぜ。(この「ダゼ」は、最近、人気のタレントの真似だぜ。)
さっそく――「ゆとり教育」なるものを考案した文化省の官僚に「国民栄誉賞」をくれてやってもいいくらいだよ、まったく。「日本をダメにした功労者」として。
ただし、もっとおかしなことが出てきている。
手で字を書くことが面倒くさい。あるいは、直接、人と会って話をすることが、どうも面倒、と感じている人もふえている。
とくに、ティーンの世代では、42パーセント。
60歳以上の世代で、18・6パーセント。
いずれも、10年前にくらべて、10・1パーセント、7・3パーセントもふえていることになる。
ティーンは、10年前には、6歳から9歳だから、「手で字を書くことが面倒くさい」こともなかったはずで、問題の60歳以上の世代は、10年前には、50代だったのだから、この連中は、おそらく、ろくに本も読まずに過ごしてきたと見てよい。これから見えるものは「ゆとり教育」などという一部の文部官僚のプランが、日本人の識字能力、国語表現、ひいては世代的な「感性」にどれほど壊滅的な影響を及ぼしたか、ということになる。(むろん、パソコンや、メールの普及といった別の要因を考えないわけではない。)
若い世代が漢字を正確に書く能力だけではなく、読む能力も衰えていることの対策はどうするか。
たとえば、小学校の上級から英語の必修化をめざすなら、おなじ比重で重点的に漢字教育を行うべきである、と考える。
パソコンや、メールが得意な人は、かならずしも英語が上達するとはかぎらない。
だが、きっちりと漢字教育を受けた人は、かならず英語もよくできるようになる。
例外はあるけれど。(笑)