今回、私が心を動かされたレーピンの絵の一枚。
「懺悔の前」(1879-1885年)。
帝政の覆滅を企図した革命家が、死刑の宣告を受けて、最後にロシア正教の司祭の前で、告解をうけようとしている。革命家は、暗い、汚い獄舎のベッドに腰を下ろしている。汚れた外套の下に、白いシャツがのぞいている。
ペトロパブロフスキー要塞の地下牢だろうか。
死刑執行まで、彼にのこされた時間はわずかしかない。
その表情は、うつろだ。
これは、ロシア革命史に大きなターニング・ポイントとなった「人民の意志」(ナロードナヤ・ヴォーリア)の秘密機関紙、創刊号(1879年10月)に載ったニコライ・ミーンスキーの詩に感動したレーピンが描いたもの。
ドストエフスキーが、死刑を宣告されたペトラシェフスキー事件から、じつに30年後のこと。
デカブリストの反乱から、ロシアにとって緊急の問題だった、農奴制の廃止、貴族階級の特権の停止、秘密警察の執拗な身辺調査、被疑者への虐待、暴行、帝政の廃止まで、ロシアの苦悶を、レーピンは、この絵に集約している。
レーピンが、この絵を完成して、5年後、劇作家、チェーホフは、突然、はるかな極東のサハリンに旅立っている。
なぜ、劇作家は縁もゆかりもないサハリンに向かったのか。
100年以上もたった現在、この問題は、まだはっきりわかっていない。
レーピンを見ながら、またしても、とりとめもないことを考えつづけていた。