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 ロンドン・オリンピックは、私たちにさまざまな感動をあたえてくれた。

なかでも、私の胸に深く残ったのは、最後まで死力をつくして戦った選手たちのことばだった。

「あきらめなければ、夢は叶う」

と、寺川 綾がいった。女子競泳、200メートル背泳。美人の選手。

「いつでもどこでも眠れるのが得意技だったのに、(試合前夜は)ほぼ一睡もで
きませんでした。目をつぶると、対戦相手の顔がつぎつぎと浮かんできて……」

吉田 沙保里。アテネ、北京とつづいて、三連覇をなし遂げた。

「あきらめないでやってきたから、この舞台に立てた。」

一昨年、初めて世界選手権に出たとき、すでに23歳。ロンドン・オリンピックは、最初で最後の晴れ舞台。田中 理恵。結果は、16位だったが、「強い選手といっしょに戦えたのはうれしかった」という。

2000年、シドニーに出た選手たちのことばが、今でも私の内面に残っている。
たとえば――アップダウンのはげしいコースを走り抜いた女子マラソンの高橋 尚子は「もっとキツイコースで練習してきた。すごく楽しい42キロでした」と語っている。

今回のマラソンのコースは、まるっきりアップダウンのないコースだったが、日本選手は、あえなく敗れた。
私は、浅利 純子(1993年、大阪国際女子マラソンで、当時、日本の最高タイムを出した。2時間26分26秒)の記録を思い出して、現在の女子マラソンの、とくにアフリカ勢の驚異的なスピードアップに驚嘆した。これでは、とても勝てない。

私は、かつての高橋 尚子や、野口 みずきなどの残念な挫折を思いうかべながら、つぎのリオ・デ・ジャネイロでの、日本勢の捲土重来を期待したのだった。

こうして――
さまざまな思いを私の内部に残して、ロンドン・オリンピックは終わった。