徳田 秋声の短編を読んでいる。古本屋にころがっていたので、買ってきた。
秋声は大作家だが、いまどきこの作家の短編、まして「西の旅」などを読む人はいないだろう。
「或る売笑婦の話」、「蒼白い月」(大正9年)、「復讐」(大正10年)、「初冬の気分」(大正12年))といった旧作に、「清算」(昭和13年)、「チビの魂」(昭和10年)、「西の旅」(昭和15年)など、新作が並べられている。
私は「文学講座」で、秋声の「縮図」をとりあげたが、そのときこの短編集にはまったくふれなかった。(理由はあとで書く。)
ここで、徳田 秋声論を書くつもりはない。ただ、戦時中に、この短編集を出した作家の境遇というか、状況を想像して、暗然たる思いがあった。(これもあとで書く。)
この短編集を出版したとき、徳田 秋声は、最後の長編、「縮図」の連載をはじめていた。秋声は、70歳。当時、すでに文壇の最長老といってよかった。だが、この作品は、当時の内閣情報局の忌避にふれて、連載80回で中絶した。
作家が、最後の力をふりしぼって書き始めた作品が、時勢にあわない、風俗壊乱を理由に発表を禁止されなければならなかった。秋声の無念は察するにあまりある。
しかも、この短編集「西の旅」もまた、1941年、発禁処分をうけた。
理由はあきらかにされなかったが、令息、徳田 一穂の推測するところでは、「復讐」と「卒業間際」が、抵触したらしいという。くわえて、「或る売笑婦の話」も問題とされたらしい。
詰り、その当時の軍官専横の為政下にあっては、かうした純粋な文学的短編集は
全体として忌避されたのであった。
という。
今では、「当時の軍官専横の為政下」の恐怖は想像もできないだろうが、秋声をはじめとする一部の作家たちはこうした時代の重圧にくるしんできたのだ。
そして、検閲者はいつも糧道を断つことで、活動を妨害することを忘れてはならない。