敗戦後、日本は、1945年9月から1952年まで連合軍の占領下にあった。いまさら、何をいい出すのか、といわれるのは承知だが。
戦後の日本人がいちばん先にふれたアメリカの文化は映画だった。
占領軍は、毎週、娯楽映画と、デモクラシーの啓蒙・宣伝に有益な映画を公開することにして、最初に選ばれたのは「春の序曲」(フランク・ボゼージ監督)、もう1本は「キューリー夫人」(マーヴィン・ルロイ監督)だった。
「春の序曲」のストーリーは――
美しい声で、将来は音楽家になりたいと思っている田舎娘(ディアナ・ダービン)が、ニューヨークにいる兄(パット・オブライエン)を頼って、大都会に出てくる。
兄は、作曲家(フランチョット・トーン)の執事を勤めているので、彼女をメイドとして雇うように主人を説得する。メイドの美声に気がついた作曲家は、やがて彼女の純真さに惹かれて行く……
映画評論家の佐藤 忠男は、「私にとって映画はなんだったか」のなかで、
まあ途方もなく楽天的でバカバカしい映画です。しかし私は上映が始まるとたち
まちこのたあいのない娯楽作品の世界に巻き込まれてしまった。彼女がニューヨ
ークに来て通りを歩いて行くと、その姿がなんとも元気でチャーミングなので、
向こうからくる男たちがスレ違うたびに振り返っていく。その場面でアッと驚い
たんですね。
(「公評」12年6月号)
私もこの場面はよくおぼえている。しかし、その場面でアッと驚いたわけではない。佐藤 忠男はつづけている。
もちろん、日本でだって、きれいな女性とスレ違えば振り返るということはある。
しかし日本の常識ではそういう態度は不良のはじまりなのであって、従って映
画で描くなら必ずニヤニヤ、ニタニタ嫌らしい表情をしているのでないとおかし
い、ということが常識になっていたのですね。ところがこのアメリカ映画では、
男たちはみんな、じつに明るい悪気のない顔で振り返るのですね。これに本当に
びっくりしました。
戦時中の日本人は、美しい女とスレ違っても振り返るようなことはあまりなかったろう。パーマネントは敵だ、というわけで、美人もいなかった。女子学生の最大の贅沢が白いソックスという時代だったからねえ。
それでも、男どもは、ニヤニヤ、ニタニタ、いやらしい表情で見るはずで、このあたりの陰湿さは、佐藤のいう通り戦前の日本映画によく見られたはずである。
ところで、私は「春の序曲」のこの場面で驚いたわけではない。
(つづく)