日本のジャーナリズムにジュヴェの名がはじめて登場するのは、じつはかなり意外な場所であった。
わずか1ページの記事なので、全文を掲載したいのだがそうもいかない。
劇界の不況はどことも同じと見えて、巴里でも昨年のシーズンは散々であった。
しかし、今年の芝居季節は例年よりは多少早めに始まったにも拘らず甚だ活気を
呈してゐるらしい。
こういう書き出しで、コメデイ・フランセーズ、オデオン座にふれたあとで、
その他の劇場では何よりもまづ、嘗てはコポオの下に在ってヴュー・コロンビエ
座を組織してゐたBaty,Dullin,Jouvet の三人が、今は各々
独立して、夫々の主宰する劇団を挙げなければならぬ。
筆者は、モンパルナッス劇場のバテイ、アトリエ座のデュランの消息を紹介したあとで、ばじめて、ジュヴェをとりあげる。
最後に、名優にして、名演出家であり、その明朗にして聡明無比な演技と演出ぶ
りのために、劇作家仲間や、巴里の中流以上の人々の間に熱心な支持者を有つ
Louis Jouvet の主宰するシャンゼリゼ小劇場では、現代稀に見る
長編小説”チボオ家の人々”を以て有名な Roger Martin du
Gard の非常に大胆な世相劇”黙する男”や、涙と哄笑に溢れた殉情的な喜
劇を書いては並ぶもののない若き劇作家 Marcel Achard (この
人の”月世界のジャン”は我が国でも最近素人劇団によって上演された)の新作
”ドミノ”や、それに仏文壇の中堅作家で独自の幻想的にして、且つ詩趣横溢し
た繊麗な文章を以て、人間心理の鋭い解剖を試みる Jean Giraudo
ux の新作なぞが予定されている。この劇団には Valentine Te
ssier といふすばらしい名女優や、画家のルノワールの息子なぞがゐる。
Jujes Romainsの”クノック”や、Vildrac の”ベリア
ル夫人”等は統べてこの劇場で上演されたのである。
つづいて、ピトエフの紹介、リュニェ・ポオの「回想」などもとりあげている。
この記事こそ、演劇関係以外の雑誌に紹介されたジュヴェのはじめての記事ではないかと思う。
「劇界の不況はどことも同じと見えて、巴里でも昨年のシーズンは散々であった」という1931年(昭和6年)。ジュヴェは悪戦苦闘していた。2月から、ヨーロッパ各地に巡業して、世界的に知られる。(若き日のフェデリーコ・フェリーニや、フランコ・ゼフィレッリが、はじめてジュヴェを見ている。)
しかし、この年に手がけた「新鮮な水」(ドリュ・ラ・ロシェル)、「無口な男」(マルタン・デュ・ガール)、「ユディト」(ジャン・ジロドゥー)、「仮面の王」(ジュール・ロマン)、どれも、失敗とはいえないまでも、成功とはいえなかった。
(つづく)