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松窓の、いい例をいくつか。

黄昏に 後家ァ 裏道 小足早

これを読んで、太宰 治の戦時中の掌編、「満願」を思い出した。私自身は、「戦後」の太宰 治にあまり関心がないのだが、この「満願」や、「右大臣実朝」、「新釈諸国噺」、「津軽」を戦時中の最高の文学作品と見ている。
松窓の句には、「後家」に対する侮蔑が感じられるが、それでも、女の性に対する賛嘆、ないしは驚きが秘められている。

寺町は 恋と無常に 夕暮るる

これも説明の必要はないだろう。前の句に、言わば性悪説のようなペスミスティックなものがないように、ここにも、おおらかな性の肯定がある。

けころ買い 山下までは 一里半

「けころ」は安女郎。「山下」は、上野。上野まで、一里半というのだから、それほど遠い距離ではない。しかし、神田、浅草、本所あたりから出てくるわけではない。
して見れば、吉原まで足をのばすことのできない距離。一里半でも、安いほうがいい。
もう一つ。庶民の労働時間の長さ、副業や、内職といった時間をかんがえれば、上野まで一里半という距離が、どういうものか、想像できよう。

年の歯を口説くも道理 干ワラビ はさまるはさまる はさまるはさまる

これも、あわれな句である。私のように棺桶に片足を突っ込んでいれば、身につまされる。(笑)つぎの句もおなじ。

年悲し 菜漬を食うて つかう小楊枝

私が、松窓の川柳や、前句付けの卑猥な表現を少しも不快に思わない理由がわかってもらえるだろう。

「屏風まわして 屏風まわして」という前句のものを並べてみよう。

氷る夜の 梅を 隠居は いたわりて

供の下女 あわれに見ゆる 捨て小舟

金にするとても はずかし 昼の客

早く寝て 下手笑わるる 茶ッ葉宿

後家 納戸(なんど) 月にも少し 恐れあり

女房の 床しく戻る 裏座敷

私は、この松窓をよしとする。

秋田の詩僧、松窓 美佐雄は、文久三年(1863年)卒。