昔むかしの話である。
自分は貧困のあいだに育ったので書物を買うことができなかった。他人の蔵
書を借りて、勉強するほかはなかった。珍しい本を持っている人のことを聞け
ば、十里、二十里と離れている土地を歩いて、その本を借覧させてもらった。
借りた期限が切れて、本を返しに行くときは、いとし子と別れる思いで返しに
行ったものである。
秋田の詩僧、松窓 美佐雄。残念ながら、私は、この人の俳句を知らない。
ただ、柿崎 隆興という人の編纂した「前句集」を読んだ程度の知識しかない。
幕末に近い文化元年(1804年)の生まれ。秋田の、まずしい寺に生まれて、刻苦精励しながら、和漢の珍書奇籍を読んでいた若者を想像しながら、その句を読む。松窓の漢詩は私には読めないし、読めたにしても意味がわからない。前句なら、私にもだいたいわかるが、あまり感心できないものもある。
いくつか、私なりに評釈をしてみよう。
生垣のあたりを 廻る 秋の鶏
鶏が庭の生け垣のあたりまで行く。そのあたりを、ぐるっとまわりながら、何かついばんでいる。そんなことにも、秋の風情が感じられる。
まあ、そんなことだろう。
八重垣は 歌と悋気のはじめかな
神代に、スサノオノミコトが、新妻のクシナダヒメといっしょに住むことになった。その家に、八重垣をめぐらせて、「八雲立つ出雲 八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」と詠んだ。これが、和歌のはじまり。
悋気は、嫉妬。スサノオノミコトが新居に、八重垣をめぐらせたのは、ほかの男神たちを寄せつけないためだろう、というウガチ。だから、スサノオノミコトは、日本ではじめての、ヤキモチやきなのだろう。
川柳としても、あまりいい句ではない。
雪垣にしても 月さす ススキかな
秋田は雪国なので、秋も深くなると、農家はススキを刈りとって、防雪のために垣根を作る。雪垣を作っても、秋の名月は、皓々たる光を浴びせる。ススキの穂は立っている。晩秋の風景。むろん、「月の光がさす」と、「突き刺す」がかけてある。そう見ると、もう少し露骨なエロティシズムを感じさせないだろうか。
むつまじい 隣りもちけり 垣見草
垣見草はウツギという。これは、お隣りさんの田畑との境界に植えておく。ホトトギスが鳴く頃には、ウツギの花が咲くだろう。お隣りさんと仲がいいので、境界線をきびしくしなくてもいい。そういう意味。しかし、むつまじい、という形容には、いささかあやしい響きがある。
松窓 美佐雄は、当時の農民のエロスを詠んだと見ていい。
(つづく)