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春になって、いろいろな作家を読み直している。
久しぶりで漱石の小品なども読み返した。

「文鳥」、「夢十夜」、「永日小品」、といった小品や、「満韓ところどころ」などの紀行、「長谷川君と余」、「三山居士」、「ケーベル先生の告別」」などの交友記、人物論、そして「硝子との中」など。

こうした小品は、すべて一度は読んだものばかりだったし、とくに「夢十夜」や「硝子戸の中」などは、「文学講座」をつづけていたために読み直した。

あらためて、漱石さんを読んで――

今回、ふと気がついた。
漱石は、「硝子戸の中」の終章の直前、長兄のことを書き(三十六)、つぎに、実母、少年時代に死別した母、「千枝」の思い出を書いている(三十七、三十八)こと。
漱石さんの心にふれたように思う。むろん、批評上の問題として。

「満韓ところどころ」は、学生の頃に紀行文として読んだだけだった。だから、あまり感銘を受けなかった。というより、「戦後」の私にとっては、満州も韓国もまるで別世界のことでしかなかった。
今あらためて読み返してみると、これがじつにおもしろい。
私自身が、中国、韓国の文化に大きな関心をもつようななったせいもある。

なによりも、漱石先生のえらさが少しでもわかってきたせいだろう。