春である。パリには、マロニエが咲きはじめているだろう。
白い花。紅い花。
春や春。ああ、爛漫のローマンス。
というわけで――映画評ではなく、映画についての漫談閑話を語るのは、けっこう楽しい。
「ヒューゴの不思議な発明」は「巴里の屋根の下」、「パリの空の下セーヌは流れる」、「影なき軍隊」、「パリは燃えているか」といった映画史に残るような作品になるかどうか。
1930年のパリ。たとえば、リュー・ワグラムで、マリー・デュバがシャンソンを、夜の「リド」の前では、水着だけに豪華な毛皮のコートを無造作にひっかけた女が、自動車から降り立つような風景。
シャンゼリゼなら、石鹸の「キャダム」のネオンサインが輝いて、「イスパノ・スイザ」の前を通り、「テアトル・フェミナ」に出れば、新人女優のアルレッテイが、ものすごい迫力で舞台に登場している。
「ポゾール王の冒険」の初日。まだ無名のエドウィージュ・フィエール。おなじように無名の踊り子たち、シュジィ・ドレール、メグ・ルモニエ、シモーヌ・シモンたちが、おそろいの乳当て(ブラジャー)とズロースで、キャーキャーいいながら舞台に飛び出して行って美しい素足をはねあげているだろう。
「ヒューゴー」1930年のパリに、そんなものは見当たらない。
アメリカ映画が、フランスを舞台にすると、たいていの場合、フランスの風味は消えてしまう。「望郷」(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督/1937年)が、「アルジェ」(ジョン・クロムウェル監督/1939年)のような、どうしようもない愚作に変わる。 それどころか、さらに後年、ミュージカルの「迷路」(ジョン・ベリー監督/1948年)になる。あいた口がふさがらない。
アメリカ人がフランスを舞台にした映画を作ると、ほとんど例外なく、軽薄なものになってしまう。舞台だって、「オンディーヌ」や、「ジジ」の舞台は、ひどく安手なものになったのではないか。
スコセッシだってそのあたりに気がつかないはずはない。
「ヒューゴ」ではパリの駅や、市街が描かれる。実際の風景をもとに想像もまじえて描いた、とスコセッシ監督はいう。彼がイメージしたのは、ルネ・クレールの「巴里の屋根の下」だそうな。え、冗談キツイなあ。
(つづく)