昭和初期、日本はアメリカの大不況の影響をモロにうけていた。当然ながら、大学生の就職活動も危機的な様相を呈している。
下村 海南の別の随筆(「現代」昭和4年10月号)の一節。
此の如き実情は就職難の場合に於て 更らに著るしい。日本三井三菱住友正金第一安田その他の銀行はもとより、各民間の重なる会社に就職を志願するものは、各数百人を算する。しかも採用さるるものは五指を屈するに足りない。しかし殆どそれらの大部は同じ志願者によりてくり返されてゐる。朝日新聞社の入社志願者は千人に近い。しかもその九分九厘までは他の新聞社はもとより、他のあらゆる方面にも志願してる。職に就きうるや否やが問題である以上自分勝手にすき好みして居れぬ。出来るだけ沢山股にかけて、手あたり次第志願をする。現にさる大阪の大学の友人の親しく僕に話したは、卒業生の大部は平均七八ケ所に志願してる。尤も多いレコードは十三ケ所に志願してゐたといふ事であつた。(後略)(「現代」昭和4年10月号)
「最も」という部分を尤もと書いているのは、誤記か、誤植か。
その下村 海南は二年後の「現代放語」(「現代」昭和6年4月号)に書いている。
卒業近(ちかづ)いて就職運動に火花を散す。世界の不景気の洪水がいまや失業者二千万人を突破してる。滔天の渦流に逆(そから)って就職に喘ぐ青年の境遇は誠に同情に価する。何分(なにぶん)にも世界対戦の好況に浮いた浮いたと全国に学校の総花が振りまかれた。官立の高等諸学校だけが今や、学生の数は七万近い。これでは景気が好くなってもはけて逝かれよう道理がない。戦後繋船してる世の中にかまはず造船してると同じ事だ。
現在の私たちは、ギリシャ、スペイン、イタリアの信用不安、リビア、エジプトの崩壊から、シリアまでの「アラブの春」、そして空前の大震災、放射線被害などにさらされている。昭和6年の不況とは比較にならない苦しみにさらされている。