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焼け出された日の朝、私は吾妻橋のたもとにあるポートワインの工場に行った。
ここにも、数人の人が入っていた。工場内は全部焼け、無数のビンが破裂して、ワインの匂いがたちこめていた。破裂したビンのなかに、煮立ったお湯のようなワインが残っている。みんなが、割れたビンを口にあてて、熱湯のワインを飲んでいるのだった。
私もワインを飲んだ。咽喉の渇きを癒すために。すぐに酔いがまわった。
この工場に入った連中は、罹災者のなかではいちばん幸福な気分を味わった人たちではなかったろうか。
つい数時間前まで業火に焼かれて、死の恐怖にさらされていたことを忘れて、無尽蔵にころがっている美酒に酔いしれたのだから。

昼になって、どこかの工場の焼け跡にブドウ糖の大きな固まりが放置されているというウワサが流れてきた。それを聞きつけた罹災者たちが押し寄せた。甘いものにたかるアリのように。私も、蟻の仲間になった。
めいめい、焼け落ちた瓦や棒ツ杭で、そのブドウ糖の固まりをカチ割って、両手にかかえて持って帰ろうとしていた。
私はやっと掌に入る程度のブドウ糖のカケラをひろって、黒く焼けた灰をこそぎ落として口に入れた。唾液も出なくなっていたが、それでも甘くておいしかった。
焼け出されてから、はじめて口にした食べものだった。

焼けた石油缶でミズアメをすくいあげて、もち帰った人がいた。スプーンや箸があるわけもない。ミズアメは、指でしゃくってなめるしかない。それでも、飢えた人たちがアリのようにたかっていた。
ミズアメに片栗粉か何かをまぶして食べようと考えた人がいる。そして、誰かが、どこかの工場の焼け跡で、白い粉の山を見つけた。
その粉を手にすくって、ミズアメにからめまるくする。つぎつぎにアメダマができた。
そのアメダマを口にほうり込む。
つぎの瞬間に、その人は息が絶えた。
この粉末をメリケン粉と間違えた人が続出したらしい。私の隣組にも、その粉が致死的な青酸カリか砒素のような毒物だという知らせが届いた。
それを聞いた連中はあわてて北十間川の中に、石油缶をつぎつぎに放り込んだ。私の隣組では誰も被害をうけなかったが、近くの隣組では何人か死者が出たらしい。

そういう光景を思い出すと、今回の地震で、JRや地下鉄の駅がどこも火災の被害を受けなかったこと、各地に大火が起きなかったことは不幸中の幸いといえるだろう。

墨田区に、高さ、634メートルのスカイツリーが建設されて、近く展望台などが開業する。開業前から評判もいい。
しかし、私がスカイツリーの見物に行くことはない。