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前回、団十郎のことを書いたので、ことのついでに。

私は、五世(白猿)も、七世、八世も見たことがない。あたりまえのことである。ただ、五世(白猿)の文学的な才能には興味があった。

おとろへた世と誰が云し 歳の市

去年のように、大震災や、原発事故、ヨーロッパの信用不安、円高、閣僚の失言、更迭とさんざんの事件で、私なども元気のない歳末をむかえたが、そんな年の瀬でも、さすがに歳の市ともなればけっこうの繁盛を見せていた。
この一句、よく読むと、為政者に対する白猿のせせら笑いが響いている。

鶯に この頃つづく 朝寝かな

これだって、のうのうとした日常を詠んだものと見えながら、いささかの、やりきれない気分がふくまれているかも知れない。

世を捨てて 友だち多くなりにけり 月雪花に 山ほととぎす

ここまでくれば、白猿の鬱々たる心境を察すべきだろう。

団十郎は、当時の俳優としては異様な自意識をもっていたように見える。私は、老境の白猿がひょっとすると鬱病ではなかったか、と想像している。
作家、山東 京山が書いている。

 

役者なりとて無礼を一揖なし、おしろい付けさせつついひけるやう、昨日も顔におしろいつけさせながら涙をおとし候。それはいかんとなれば、御素人様ならばたとへ家業をゆづり隠居をもすべき歳なり。然るにいやしき役者の家に生れし故、歳にも恥ぢず女の真似するはいかなる因果ぞと。しきりに落涙いたし候。役者としてここに心づきては芸にもつやなく永く舞台はつとまらぬものなりと、歎息して語りけるに、はたして二三年の後寺島村に隠居せり。

 

山東 京山は、京伝の弟。寺島村は、いまの向島。(今の女優の、寺島 しのぶの名も、寺島村に由来しているだろう。)
それはそれとして、当時の狂歌に、

我等代々 団十郎ひいきにて 生国は 花の江戸の まんなか

作者は、つぶり光。(つぶりは、頭。あとは説明しなくてもいいだろう。)

じつはこの正月、青木 悦子が、柴又、帝釈天のお守りを私に贈ってくれた。これはうれしかった。
ちなみに青木 悦子は、マイクル・コリータの「夜を希う」(創元推理文庫)の訳者だが、この作家は、あたらしいハードボイルドといっていい。作品がいいところにもってきて、悦っちゃんの訳がいい。
最新のハードボイルドの訳者が、下総在のご隠居に帝釈天のお守りを届ける。やっぱり江戸の女はやることが違うね。

最近の私も「世を捨てて 友だち多くなりにけり」の心境なのだが、今年から帝釈天さまにあやかって、中田 寅ジローというペンネームにしようか。(笑)