まだ、きびしい残暑がつづいていた頃。
テレビで、酒井 抱一を見た。(’11.9.16 9:00am)。
抱一といえば、世に埋もれていた尾形 光琳の再評価に力をつくし、光琳の「風神雷神図」の裏に光琳へのオマージュとして、「夏秋草図」を描いた画家である。
この番組のなかで、抱一の句が紹介された。
銀のうみ 渡もや 冬の月
私の聞き違えでなければ、アナウンサーはこの句を「ギンの海」と読んだ(と思う。)
録画しておけばよかったのだが、そんな気もなかった。
私がとっさに考えたのは――抱一が、そんな破調の句を詠んだのか、という疑問だった。私の無学をさらけ出すようだが。
じつは俳人としての抱一を知らない。私の知っている抱一は、
山賤のおなかもはるの木の下や 花の吹雪に 腰はひえめし
音に立て なをも鼓のうつつなや 三つ地のふみの長地短地
ぬしさんにははきもとまで恋のふち 人の目貫を かね家のつば
こんな狂歌しか知らない。それも、一読して即座に歌意がわかるわけではない。
むろん、なかなか洒脱な人だったらしいことは想像できるのだが。
こういう人が「銀のうみ」をギンの海と詠んだとは信じられない。
しろがねの うみわたるもや ふゆのつき
こう読めば、俳人としての抱一の大きさがわかる。どうだろうか。