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私は、夭折した作家、詩人たちに惹かれる。
たとえば、富永 太郎。富ノ沢 麟太郎、梶井 基次郎。戦後でも、原口 統三、湯浅 真佐子、久坂 葉子、山川 方夫。……

戦前、夭折した作家に、渡辺 温がいる。1902年生まれ。梶井 基次郎より1歳下。小林 秀雄、中野 重治と同年。
温のすぐ上の兄が、ミステリー作家、渡辺 啓助である。

1924年(大正13年)、温は映画シナリオ、「影」という作品で登場した。これは、映画筋書の懸賞募集に応募して一等当選を果したもの。選者は、谷崎 潤一郎、小山内 薫だった。
当時、谷崎 潤一郎はみずから映画のシナリオを書き、小山内 薫は、舞台「築地小劇場」の延長上に、映画の演出をめざしていた。
温は出発からして谷崎 潤一郎にゆかりの深い作家だったといえるだろう。

その後、江戸川 乱歩の影響で「新青年」が創刊され、横溝 正史が編集長になったが、このとき、編集助手に横溝が選んだのは、一面識もなかった渡辺 温だった。
温がめざしたのは、古いリアリズムにとらわれた表現に変わって、エスプリ・ヌーヴォーと呼ばれたモダニズムによる創作だった。

サイレント映画に見られる演技――言葉がないため、身ぶり、手ぶりといったジェスト(身体表現)によって、その瞬間その瞬間の感情、あるいは内面を、見る側(映画では観客、小説では読者)に感得させる方法が、作家、渡辺 温の特質の一つ。

 

その繁華な都会の町外れの、日当たりのよい丘の中腹に、青木珊作と呼ぶ年若い画工(えかき)が住んでいた。
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冬の話である。
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青木珊作は、ひと月の先に迫った国立美術館の展覧会へ出品するために「情婦(コランバイン)の嘆き」と命題した五十号のNudeを画いた。それはようやく完成しかけていた。もう一塗り最後の仕上げを待つばかりであった。だが、この時突然モデルの春子は解約を申し出た。珊作が十分に彼女の欲するだけの報酬を与え得なかったと云う理由を以て。春子は世にも美しい娘であった。

 

「影」の冒頭、オープニング。日当たりのよい丘の中腹、スタティックで、静かな世界である。どこにも影はない。
すぐに見てとれるのは、(シナリオとして書かれたのだから当然だが)、これはフェイドイン、もしくは、アイリスインの意識的な採用というべきものだろう。
彼のシナリオが、ドイツの表現主義映画、「カリガリ博士」の影響を見せていることは注目していい。
つい比較したくなるのだが――はるか後年の――たとえば、「ALWAYS 三丁目の夕日」。「繁華な都会にへばりついているような、日当たりのよくない裏町」、日本が右肩あがりの成長に向かおうとする前の、古き良き日本のイメージ。「影」ではまったく無縁の「世界」が静かに展開している。高度経済成長期のすさまじい足音などどこにもない。
この「影」の静けさの背後に、私はおそろしい破壊、ないし崩壊の予感を聞く。

渡辺 温は、たんなる大正モダニズムの作家と見るべきではない。
むしろ、1923年(大正十二年)の震災の直後から、文学的な活動をはじめた作家として、当時、芥川 龍之介のように「ある漠然とした不安」を生きた作家と見るべきたろう。
温は関東大震災について語らない。
それは、かつてない破壊、ないし崩壊を受けた、この世の虚しさを知った若者にどう映っていたのか。
数年後、温の世界、あるいは、かつてあった秩序は、おそらく「ある漠然とした不安」を背景にようやく完成しかけていた。もう一塗り最後の仕上げを待つばかりであった。                          (つづく)