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私の連載ははじまった。最初の数回で――自分でも快調だと思った。むろん、まだ読者の反響はなかったが。
ところが、急転直下――まあ、当然だったにちがいないのだが、この連載は10数回で終わった。あっけなく挫折したのだった。

担当の服部 興平君が亡くなった。連載中に、担当者が亡くなったことははじめてだった。ショックは大きかった。私は、北海道に旅行中で、服部君の訃報も知らなかった。
私は、彼の葬儀にも出席しなかった。(このことは、今でも申しわけなく思っている。)服部君から依頼された翻訳も、うやむやのうちに立ち消えになってしまった。

「週刊サンケイ」のコラムが中止したあと、私のマンガに対する関心は急速に消えてしまった。

このときから、森川 久美、小越なつえ、向坂 桂子、湖東 美朋といった少女マンガを読むこともなくなった。去年の雪いまいずこ。なつかしい作家たち。
私のマンガ批評はあえなく挫折したが、それでも、私の仕事に――砂川 しげひさ論や、上村 一夫、小池 一夫などのマンガの解説といった意外なエッセイがある。私は、こうしたマンガにも関心をもったのだった。

数年後、「集英社」のコバルト文庫が企画したアメリカのY.A.(ヤング・アダルト)小説のシリーズがはじまったとき、私はクラスにいた坂崎 倭、羽田 詩津子、中山 伸子たちを登場させた。
私自身は、スーザン・E・ヒントンの「アウトサイダー」という長編を訳した。このシリーズも、私がトップ・バッターだった。たまたま、ほとんど同時に、おなじヒントンの原作が別の出版社から出た。こちらの訳は、児童文学のほうでは有名な女流翻訳家の手になるもので、本もりっぱなハードカヴァー。翻訳は、ジェンティールで、まじめな翻訳だった。
私の訳は、この先生の訳と違って、全体にハードで、しかも少年マンガ、少女マンガを意識した翻訳になった。

ヒントンの原作は、フランシス・コッポラが映画化している。
マット・デイロン、まだハイティーンの少女だったダイアン・レインが出ている。
私の訳した本はいくらか読まれた。文庫本で安かったせいだろう。

このシリーズで、ヒントンの作品を、つづけて3作翻訳した。別に一冊、「テックス」という作品は、坂崎 倭に訳してもらった。坂崎 倭は、その後、児童文学、少女小説の翻訳家として有名になった。(田栗 美奈子さんの最初の先生である。)
私は、このシリーズの成功を見届けてから、Y.A.(ヤング・アダルト)小説から離れた。このシリーズを手がけていた頃も、私のマンガ熱はつづいていた。
今となっては、その頃読んだマンガのストーリーもろくに思い出せないのだが。

今でもときどき、「タラッタポン」や、「南国少年パプワくん」、はては「クレオパトラD/C」や「アレクサンドライト」などを読み直してみようか、と思う。
楽しいだろうなあ。

最近の私は、安東 つとむの好意で――サイレント映画の女優たちについて、短い連載をつづけているのだが、これも約束をはたさずに終わった服部 興平君への、罪ほろぼしのようなものなのだ。

人生には、いろいろな出会いがある。
マンガ評論家になれなかったのは残念だが。(ヘヘヘ、冗談ですよ)。