1326

作家としては、「サンケイ」の連載コラムを書いていた時期が、いちばん幸福だったような気がする。

担当してくれた編集者は、旧知の服部 興平だったが、私は、いつも「サンケイ」ビルの喫茶店で、彼と話をした。もともと「週刊サンケイ」の記者で、いろいろな機会に私に原稿を書かせてくれた。

服部君は、私にアメリカの小説の翻訳を依頼してきたのだった。当時の私は、何冊も翻訳をかかえていて、動きがとれなかった。しかも、大学で講義をつづけていたし、「バベル」という翻訳家養成学校の先生になった頃で、私自身の生活環境が変わってしまった。かんたんにいえば、翻訳に時間をとられるのがいやだった。
服部君は「気分転換にマンガのコラムを書きながら、翻訳をしてくれないか」といってくれたのだった。
私は承知した。日程としてはどうにも無理だったのだが、そこまで私を信頼してくれていると知って服部君の期待にこたえようと思ったのだった。

このコラムの第一回に何をとりあげたか、よくおぼえていないのだが――たぶん登場したばかりの高河 ゆんをとりあげたと思う。

高河 ゆんは、やがて「源氏」の連載や、「ローラーカイザー」あたりから流行作家になったはずで、私はこのコラムで、だれより早くこのマンガ家をとりあげたことがうれしかった。
私は、「文芸」で同人雑誌の批評を続けてきた経験があった。マンガの批評にも自信があった。月刊誌に書くのと、週一回のコラムを書くのと、それほど違いはない。
私がコラムでとりあげた作品に、それぞれ脈絡もなく、ジャンル別にもこだわらなかった。そのため、せいぜいマンガ好きの作家の「お趣味」の行きあたりばったりの選択に見えたはずである。たしかに、そうに違いなかったが、私には私なりのクライテリオンがあった。
小さなコラムだからこそ、私がとりあげるのは、すでに有名な作家よりも、できるだけ将来性のある新人作家をとりあげようと思った。
(つづく)