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ある時期の私は、かなり多数のマンガを読んでいた。

服部 興平は私にとってはわすれられない編集者のひとりだった。
せっかちな人柄で話をしていると、話題はいつも私の3倍ぐらい多かった。そして、その話題は、いつも多岐にわたって、ミステリーの話をしていたかと思うと、宇宙論になったり、映画の話から、たちまち女性論になったりする。
才気煥発なジャーナリストだった。
何かのシリーズものの企画を立てると、まっさきに私に連絡してくる。
「トップに中田さんが書いてくださると、あとで書く人に話をもって行きやすいんですよ」
「へえ、どうして?」
「中田 耕治が書くんなら、(自分も)書いてもいいとおっしゃるんですよ」
「ふぅん、そうなの?」
服部 興平はニヤニヤしていた。

「サンケイ」が、マンガ時評といったコラムを新設して、私が担当することになったのも服部 興平のおかげである。
毎週、いろいろなマンガをとりあげて紹介しながら批評するというふれこみだった。
むろん、私以外に適当なマンガ専門の評論家がいないわけではなかったはずだが、マンガについて書いたことのない作家が、マンガをどう読むか、そのあたりを期待していたはずである。

私はマンガを読みつづけていた。大きな仕事をしていると、どうしても気分転換が必要で、そんなとき、手あたり次第にマンガを読む。ジャンルは問わない。青年マンガ。レディース・コミック。ナンセンスもの。ホラー系。
だいたい、単行本が多かったが、少女雑誌、女性誌、少年雑誌、青年誌。はては、ごく一部だったが、同人誌まで。

自腹を切ってマンガを買うのだから、けっこう出費がかさむ。そこで、「集英社」の編集者だった桜木 三郎に頼んで、「集英社」新刊のマンガを送ってもらったこともある。

(桜木 三郎よ、いまとなっては、せんなきことながら、きみがマンガを送ってくれたことに感謝している。新刊のマンガだけだって、たいへんな金額だったはずである。ほんとうに迷惑をかけた。今でも申し訳なく思っている。)

何でも読んだ。

今でも、何人かのマンガ家は、作品の印象といっしょに思い出せるくらいだ。
怱領 冬実。
岡野 玲子。
ささや ななえ。
「プチ・コミック」で読んだ佐伯 かよの。
別冊「フレンド」の、松本 美緒。

長いシリーズでは、窪之内 英策の「ツルモク独身寮」。
魔夜 峰央の「パタリロ」。これは「花とゆめ」で読んだっけ。

有名なマンガ家のものもずいぶん読んだ。
水木 しげる。ただし、「ミスター・マガジン」で連載がはじまった「猫楠」などで、「ゲゲゲの鬼太郎」は、もっぱらテレビで見ていたはずである。
ホラー系では、「夜中にトイレに行けなくなる話」系のマンガを、夜中にトイレで読んだり、北条 司の「CITY HUNTER」が、終わってがっかりしたり。
「リョウ」の恋人、「香」が現実にいたら、私はすべてを投げうって――
いや、怱領 冬実の「3 THREE」の「理乃」も好きだったなあ。

沢井 健の「イオナ」は――昨年、私が救急車で病院にかつぎこまれたとき、吉永珠子が、いとばん先に届けてくれたっけ。うれしかったナ。
とにかく、マンガを読むたびに、たちまちヒロインに恋をするような読者だった。
(つづく)