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あまり、人の注意を惹かなかったらしいが――呼吸器系の病気で、マレーシァ、クアラルンプールの病院に入院していたグェン・カオ・キが亡くなった。享年、80歳。
かつて南ヴェトナム共和国の副大統領だった人物である。(’11年7月23日)

グェン・カーンが大統領だった頃、南ヴェトナム空軍の司令官で、「ヤング・タークス」の一人だった。「ヤング・タークス」は、直訳すれば若いトルコ人だが、当時、南ヴェトナムの軍関係者で、頭角をあらわしていた少壮指導者たちを意味する。
グェン・カーンが失脚したとき、後任にグェン・バン・チュー将軍が登場する。
グェン・カオ・キは、共和国の副大統領として1967年から71年にかけて、先輩のグェン・バン・チューを補佐した。

当時のグェン・カオ・キは、首に白いスカーフを巻いて、みずから戦闘機を操縦するような空軍司令だった。1975年、戦況が悪化して、サイゴンが陥落したとき、タン・ソン・ニュット空港から、戦闘機に妻子を乗せて、脱出したというウワサを聞いたことがある。

その後、まったく消息を聞かなかったが、アメリカに亡命して、どこかで大きなスーパーマーケットを経営して成功したという。一度だけ、テレビで見た。風貌はおなじだが、成功した華僑の商人のような感じになっていた。

この軍人・政治家に関心はない。しかし、亡国の政治家として、自分の運命も、周囲の人々の運命も、はげしく変わったに違いない。アメリカに亡命してから、彼はまったく沈黙したはずだが、ヴェトナム戦争に関して何らかの感想は持っていたはずだと思う。ヴェトナム戦争の推移に関しては指導者のあいだでも、戦争に対する考えかたや、未来への予測は大きく違っていたはずで、グェン・カオ・キが何を考え、どういう行動をとったか、私としては知りたいと思う。
グェン・カオ・キは、何も語ることがなかった。このことを、私としては残念に思う。

当時、アメリカ側で、ヴェトナム戦争の遂行に大きな役割を果たしたロバート・マクナマラが、死の直前に、痛切にこの戦争に対する反省を語ったが、グェン・カオ・キは何も証言をしなかったのだろうか。