先日、空に月を見た。なにをいい出すのか、といぶかしむ方もいるだろう。
なぜかみごとに美しい月だった。
福島原発事故のニューズで、みんなが暗然たる思いにかられていた時期、私が目にした美しい月は、日本の美しさにあらためて気づかせてくれたような気がする。
月天心 貧しき町を通りけり 蕪村
この句の季は秋だが、原発事故のニューズにおののいている私の町なども「貧しき町」といっていいかもしれない。
残念ながら、夏の月を詠んだ、いい句をほとんど知らない。
歳時記をあたってみれば、きっと見つかるはずだが、そんな暇はない。
いくつか挙げておこう。
月はあれど 留守の用なり 須磨の夏 芭蕉
夏の月 御油より出て 赤坂や
夜水とる 里人の声や 夏の月 蕪村
馬かへて 後れたりけり 夏の月
月を見たり、時代を離れた俳句を思い出して大震災の悲しみを忘れようとする。私は、そんな日本人のひとりなのである。
一茶にもあるはずだが、
なぐさみに 藁を打ちけり 夏の月 一茶
こんなところだろうか。
おっと。また、ヤナことを思い出しちまった。
放射線に被爆した飼料のワラを食べていた東北の牛が、牛肉として出荷されたことが問題になって、各県で放射線量を計測しはじめている。
三月に、何かといえば――「この程度の放射線量を摂取しても健康に影響はない」としきりにヌカしていたやつらに、こんどはワラでも食わせてやりたいね。
月はあれど 放射線なり この夏は 香遅庵
なぐさみに 肉も食えぬか 夏の月
イヒヒヒ。