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夏のまっさかり、毎日、アリを観察していた時期がある。
朝から晩まで、アリたちの動きを追っていた。むろん、私の観察は科学的なものではない。ただ、アリが何かのエサ、エモノを見つけたとき、どういう行動をとるのか、それをどのようにして仲間に伝達するのか。巣に待機している連絡をうけたアリたちは、どう対応するのか。
毎日、庭にしゃがみ込んで、アリばかり見ていた。当然、近所の人たちは、私を奇人、よくいっても変人と思ったらしい。
隣家の若い主婦は、家人に「お宅のご主人は、代書屋さんですか」と聞いたらしい。
私は大笑いしたが、「代書屋」どころか、まったくの無名作家といったほうがよかった。夏の日ざかりに、庭にしゃがみ込んで、アリを見ているのだから、ノイローゼぐらいにみられても仕方がない。

ほんとうは仕事をしたくても、どこからもクチがかからなかっただけ。売れないもの書きだった。時間だけはたっぷりあったが、前途に希望はなかった。
原稿の注文がないということは、読みたい本も買えない、ということなので、ほかにすることもないからアリを観察していたにすぎない。

毎日、観察しているうちに、アリの集団のなかにも、ズルいヤツがいることがわかってきた。
たとえば、何かの情報に接して、みんなが色めき立って巣の中からいっせいに飛び出してくる。なかには、不退転の決意を見せて、まっしぐらに自分の目的に向かって進んで行くヤツもいる。
ところが、巣から出てきても、ほんの数秒あたりのようすをうかがっただけで、急いでもとの巣に戻って行くヤツもいる。自分が出てきた「出口」のすぐ近くの「入り口」にもぐり込むヤツもいる。

とにかく、アリのなかには、いろんな行動をとるヤツがいる。そのなかで、アリとして、当然のことさえしない、ようするに働かないヤツがいるのだった。
(つづく)