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この3月、私は、アメリカの作家、ハ・ジンの短編集、「すばらしい墜落」(立石 光子訳/白水社/2011.4.5刊)を読んだ。
全部で、12編の短編を毎日1編づつ読みつづけた。
たまたま訳者、立石 光子から、中国語訳、「落地」(時報出版/台湾)を贈られたので、これを参照しながら読みつづけた。毎日、一編を読むことにしていた。

途中で、想像もしない事態が起きた。東日本大震災である。未曾有の天変地異であった。巨大な地震と、それにともなう大津波、さらには沿岸の原子力発電所が破壊され、数時間後には、その一基が溶融(メルトダウン)した。その当時はわからなかったが、政府、東京電力、原子力保安院、さらにはマスコミが、被害を隠蔽したり、極度に低い評価しか発表しないという人災の最たる大惨事を惹起したのだった。
私は未曾有の大惨事の日々のなかで、テレビにかじりついていたので、ほとんど本を読まなかったが、ハ・ジンの短編だけは、毎日、一編づつ読みつづけていた。

大災害の混乱のさなかに、書評らしい書評が出るはずもない。私はこのすぐれた作品集、そしてそれを訳した立石 光子のすぐれた翻訳が、だれのめにもとまらないまま忘れられてしまうことに義憤のようなものを感じた。
これほどすぐれた仕事が、津波で海岸に打ち上げられた無数のデブリのようにむなしく朽ちて行くは、あってはならない。

私としては、せめてこの短編小説を読んで感動したことを書きとめておこうと思う。
ただし、書評ではないので、ときどき思い出したときに書きつづけよう。