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 上島 鬼貫(1661―1738年)は、元禄の頃に登場した俳人だが、私はあまりくわしく知らない。
ただ、この人の句に、

 

   惜めども 寝たら起きたら 春である

 

 という句があって、驚いた。江戸時代に、すでに現代国語の格助詞、「である」を俳句に使った例「である」。「である」は、明治の言文一致からはじまったとばかり思っていたからである。
すっかりうれしくなった私は、さっそくこの句をパクって、

 

   我が輩は 寝ても起きても 猫である

 

という一句を詠んだ。去年から、私の飼っているネコを詠んだもの。
漱石先生のお叱りをいただきそうだが。

昨年の夏に、我が家の飼猫が他界したので、喪があけてから「動物愛護センター」にお願いして子ネコをもらってきた。
名前はチル。じつはこれもパクリで、ルイ・ジュヴェが飼っていた愛犬の名前を頂戴した。(ジュヴェだって、きっとメーテルリンクから頂戴したに違いない。)

さて、鬼貫のことに話を戻すことにしよう。
私の好きな句 を選んでみた。


春雨の 今日ばかりとて 降りにけり
くらがりの 松の木さへも 秋の風

遊女の絵に讃す

殿方を おもうてゐるぞ 閨の月

いつも見るものとは 違う 冬の月

雪に笑ひ 雨にもわらふ むかし哉

久しく交りける友の身まかりけるときこえはべりければ、

いとどさへ旅の寝覚は物うきを
木がらしの 音も似ぬ夜の おもひ哉

ほかのひとには、私の選句は気に入らないかも。鬼貫の句は、もう少しヴァライェティーに富んでいるからである。
(つづく)