3月23日にエリザベス・テーラーが亡くなった。
彼女については、いずれあとで書く。
同じ3月に、ジェーン・ラッセルが亡くなっている。享年、89歳。
新聞に短い訃報(オービチュアリ)が出たか、「紳士は金髪がお好き」で、マリリン・モンローと共演したという記述がある程度だった。
あれほど有名だった映画女優でも、この程度にしかあつかわれない。さすがに感慨があった。
ジェーン・ラッセルは、マリリン・モンロー以前の「セックス・シンボル」だった。はじめてスクリーンに登場したのは、ハワード・ヒューズの「アウトロー」(1943年)だが、ジェーンの野性的な魅力は、たちまち保守的な階層からはげしい非難を浴びせられた。この攻撃のすさまじさは、その後のイングリッド・バーグマンに対する非難の嵐を思わせるものだった。
アメリカにかぎらない。どこの国にも「良識」という名の、はげしいフィリピックスは見られるが、ジェーンは、それを逆手にとって、したたかにハリウッドで生きのびた。
映画「ならずもの」Outlaw(42年)は、当時としては、大胆な露出で、上映中止になった。1941年に、ごく一部で公開されたままオクラ入りになり、戦後の1950年になって、ようやく公開された。
ジェーンは、一躍、有名になったが、映画としては、ハワード・ヒューズの「お遊び」で、ほとんど取り柄がない。
後年、ジェーンは語っている。
「私は戦った。ズタズタにされ、議論の的にされた。ダンスで、私に着せようとした衣裳のことで、つらい時期を過ごした。ほんとうにひどい衣裳で――何も着ていみたいな衣裳だったわ。」
ところが、ヒューズは、この衣裳が気に入っていた。ダンスも気に入っていたし、ジェーンの胴体(トルソ)も気に入った。
なによりも、撮影スタッフの眼をよろこばせたのは、大きな、褐色に日灼けした乳房だった。スタッフはジェーンに「チェスナッツ」(クリちゃん)というアダ名をたてまつった。
映画は公開されなかったが――ジェーン・ラッセルは、巨乳女優として、世間の耳目を衝動させた。
私たちは、戦後すぐにボブ・ホープの喜劇、「腰抜け二挺拳銃」で、ジェーン・ラッセルを知ったが――ジェーンの登場で、ハリウッドの「乳房崇拝」(ブレストカルト)が決定的なものになったと考えている。バストラインは38インチ。「巨乳女優」ジェーンの存在はそれほどにも大きかったと見ていい。
(つづく)
↓「フレンチ・ライン」のジェーン・ラッセル