人を愛すること。あるいは、恋すること。
ある人の文章を、年に一度は読み返す。
ただし、ごく短い部分だけ。折口 信夫の「難解歌の研究」。
ここで全文そのまま引用したいのだが、そうもいかないので、ごく短い部分、短い説明をつけながら書きとめておく。
あはれなる心ながさのゆくへとも、見しよのゆめを だれかさだめむ
俊成卿女の歌。
きはまれる幽玄の歌なり。そのよの密事をば、その人と我とならではしらぬ也
ただひとり心ながく持ちゐたるをも、人がしらばこそ、ありしちぎりをば、ゆめ
ともさだめんずれ、と言ひたる心也。
これを、折口先生がさらに解釈なさっている。
この歌は、このうえもなく幽玄の歌だ。あの夜の(その頃の、という気分も含ま
れていると見なければならぬ)二人の隠し事は、あの人と自分とを除いては(で
なくては)他人は知らないのだ。
折口先生はつづけて、
だから、其後また逢ふ事をこころの底に持って、唯一人こころがはりもせずに
待ってゐた、この心持ちをも、あの人が知ってくれるとしたら、この当時あった
関係をば、きれいに諦めて、夢ともかたをつけて了はう、が併し、あの人は忘れ
てしまつてゐるので、却つてあきらめられぬ、と言うふ風に吹いているものらし
い。
中田 耕治は考える。この歌は、なぜこのうえもなく幽玄の歌なのだろうか。ふたりだけのみそかごと。つまり、男と女という磁場で、それぞれのいのちの極みを生きたことは、だれも知らない。また、知られてはならないのだ。そして、それをしも、夢と観じることは、恋のはかなさ、というより、恋ほんらいの哀歓ではないか。
(つづく)