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湯浅 真沙子という歌人の出自、境遇については何も知らない。
戦後しばらくして、最愛の夫と死別したらしい。真沙子自身も病いに倒れる。あまりにも不幸な女性だった。

   何ゆえにああ何ゆえにわが夫は われを見すてて此世去りにし

戦後の混乱のなかで、夫と死別した女の境遇を思えば、憐れとしかいいようがない。おそらくは肺結核の身で、ダンサーとという職業を選んだことも不幸だった。

    わが涙 乾くひまなし 長椅子のかげのスタンドにレコードきくとき

    所詮われただ浮草のかなしさよ 戀もなし情欲もなし ただに悲しむ

    かへりきて踊衣裳のさみしくもかかれる壁みて 涙ながるる

    うつ蝉のこの世か 食ふにも事欠きて 日々を苦しくただ生くる吾

    今日は今日 あすは明日 ただそれでよし ゼロの生活

その歌に、嘆き、涙、素朴なニヒリズム、孤独感などの暗い倍音(オーヴァートーン)が響いている。そして、最後に詠んだ一首。

    われひとを怨まじ世を怨まじ これがさだめとおもふこのごろ

これが辞世だったらしい。すべてを「さだめ」と観じて、真沙子は消えた。薄幸の女歌人であった。

湯浅 真沙子の遺稿、『秘帳』が出版された年、高群 逸枝は、

   わが家の杉の梢にあかねさし 革命の世紀あけそめにけり

という歌を詠む。
こんな空疎な歌よりも、いまの私は湯浅 真沙子の諦念に心を動かされる。